神鏡とお札、三社神棚をもって祀る方法と神社神道のタブー


さてさて、今日も神さんに関することを書いていきますね。
(前回のブログは神さんを祀るということは、どういうことなのか

です)


もしかすると、怒られるかもしれませんけど・・・
神鏡やお札(ふだ)について、そのタブー的なことを書きます。

知り合いの神主さんが見てなかったら、よかけど(‐ ‐;)
 


みなさんは、神鏡ってご存知ですかぁ?丸い鏡のことなんですけどね。
三種の神器(鏡・玉・剣)の一つのことなんですが・・・ 神社等の
神殿には、祭壇の上に祀ってありますよね。

自宅の神棚なんかにも神鏡を祀ったりします。


ところで・・・ この神鏡を祭壇や神棚にそえて祀ることに、なん
か違和感がありませんか?

神道は、自然を中心に信仰してきたわけです。なのに、鏡が祀られ
ているんです。なんか変でしょ?



神道では・・・ というより、古神道ではと言ったほうがいいかも
しれませんね。古神道では、霊験ある山々や土地、川、海等に神さ
んを感じ祀ってきました。

でもですね、社会や文明が発展するにつれ、人は家に住むようにな
って、それから神さんにも家が必要と思われるようになり、神殿が
作られていったんですね。(まぁ そんなところでしょう)



あ ちなみに、古い伝統を守っている神社では拝殿はあっても、神
殿がない所もあります。神さんは、自然の中に宿っているという考
えが今でも残っているからです。



んで、その神殿に鏡が備えられました。神さんが立ち寄る物、又神
さんとの窓口として備えられ、神さんそのものとして祀られました。



鏡は外国から入ってきて、初めてその鏡を見た日本人は、めちゃく
ちゃ驚いたことでしょう。自分や物、風景を映し出し、又太陽の光
まで映し出していたとです。(当然って言えば、当然ですけどね)


自然に神さんを感じていた中に太陽信仰もあって、その太陽信仰か
らすれば、鏡に反射した太陽の光を見て・・・

鏡の中から放たれる反射した太陽の光を見て、人は鏡の中の向こう
に神さんが居ると思ったことでしょう。鏡がこの世と神さんとの境
い目と考え、また鏡そのもを神さんとして大切にしました。



それから、鏡が徐々に各地の神聖地へ広まっていきました。正確に
は銅鏡ですけどね。



ほんでもって、古事記や日本書紀が登場します。古事記では、天照
大御神(あまてらすおおみかみ)は孫の瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
に鏡を持たせて各地を統括させたことになっているんですけど・・・


鏡が各地の神聖地に広まったことを受け、神聖地や神社等で鏡が祀
られる正当性を持たせるために、古事記等において、鏡は天照大御
神からもたらされたものとしたわけです。(天孫降臨)

鏡を神代(かみしろ:神さんが宿る)とし、又鏡そのものを神とし
たとですたい。



神鏡といっても、ただの鏡です。中国等では鏡を祭器として使ってい
たと思います。日本でも、最初はそうだったのではないかなぁと思い
ますけど、古事記や日本書紀等の影響もあって、いつしか偶像崇拝的
な信仰へと変化していったんだろうと思います。


明治になると、神鏡をご神体とする法令が施行されています。



そんな神鏡ですが、今ではネット上でも売られています。なんか、時
代が移っていくにしたがって、神さんも安上がりになったもんだと思
いませんか?(-’д-)y-~


言っときますけど、手軽に神鏡を購入しても、あんまし意味ないと思
いますよ。

 

ネット上で販売されているものに、一個ずつ修祓(しゅばつ)や降神
之儀がなされているとは思えません。これは、お札(ふだ)でも同じ
です。


あ 修祓っていうのはですね、清めることって思われたらよかです。
降神之儀は、その字の通り神さんに降りてきてもらう儀式です。


ですので、今神棚ででっかい顔している神鏡やお札には、なぁ~ん
も意味がないかもしれません(´-ω-`)



皆さんは神社で手を合わせて拝んでいる時、神殿の中に神さんがい
らっしゃると思っているでしょ。う~ん、間違いではないかもしれ
ませんが・・・

その前にですね、拝んでいる周りに神さんがいらっしゃるんですよ。
神殿の周囲にある木々等に神さんがいらっしゃるとです。神殿の中
にあるご神体(鏡等)は、神さんが立ち寄った時の席ですからね。


神さんへ拝む時は、周囲を意識して拝まんといかんですよ。鳥居を
くぐると、そこに神さんがおらっしゃるとです。



まぁ ここまでは知り合いの神主さんが今回のブログを読んでも、
そんなに怒ることもなかやろうと思うとばってん・・・

問題はここからですたい(´エ`;) 




お札についてなんですけど・・・ これもちょっと昔と今では変わ
っています。自宅の神棚にお札を祀って、神さんを祀っているおつ
もりでしょうけども・・・


もともとお札っていうものはですね・・・
山伏(やまぶし)が始めたんだろうと思っております。山伏っていう
のは修験者(しゅげんじゃ)とも言われ、山々で修行する人のことを
言います。


んで、この山伏ですけど・・・ 


日本と同じような山岳信仰をもつ外国の方々が、なんかの理由で日

本にたどり着き、日本人を避けて山々で生活をしていたんだろうと
思います。そんな人達を山里の日本人は奇特な目で眺めていたでし
ょう。(山岳信仰は日本以外の国々にもあります)



ほんで、山々に住む外国人はそれまでの日本人と違った文明や文
化を持っていたわけです。日本の文明とまた違った高度な技術や
知識を持ち合わせ、時には山里の日本人に技術や知識を分け与え
たことと思います。



信仰の対象となっている霊験ある山々に住みつき、日本の文明と違
った文明をもつ集団を、山里の日本人は恐れ、又神さんに近い存在
とも思っていたのではないでしょうか。(つまり、天狗です)



そして仏教(密教)が日本に伝わった頃、それにあわせ人は山々で
修行するようになったんですけど・・・

ここで、霊験ある山々に住み着いていた外国人と修行僧が結びつ
いたのではないかと思います。修行僧は外国人の姿を真似して、
小さな箱のような頭巾(ときん)を頭に付けたのではないかと想
像します。



まぁ そんな感じで山伏が山々で生活をするようになったんですが、
しかし、生活する上で困ることがあったとです。それは、食糧です。

冬になれば、険しい山々では食糧を確保することは難しかったわけ
です。いくら修行といえども、なんか食わんと生きていけないわけ
ですね。



んで、山々に住んでいた外国人は自分たちの技術や知識を山里の
人々へ教える代わりに食糧を得ていたんですけど、修行僧にはそ
んな技術や知識はないわけでして・・・ 

で、思いついたのが「お札」であったとです(¯―¯٥)



倒木から木片を作り、それに霊験ある山々の神さんや神社等で祀っ
ている神名、菩薩、真言、呪文等を書いたり彫ったりして、それを
山里で配り、代わりに食糧やお金にしていたと思われます。


山里の人々からすれば、霊験ある山々で修行している修験者が、持
って来るお札に神秘的なご利益を感じ、食糧やお金でお札と交換し
ていたと思います。



でですね・・・ 
後々、このお札に目をつけたのが神社ですたい。神社が各地に建立
され、神社は経済的にも苦しくなることがあったわけです。

そこで、宣伝的な意味合いも含め、お札を村々に配り始めたとです。
また鎌倉時代中期以降、伊勢神宮(皇室の祖先である皇祖神:天照
大御神が祀られています)への参拝が盛んになります。


伊勢神宮へはお蔭参りが人気となり、多い年には数百万人にも及ん
だといいます。お蔭参りとはですね、神さんや人々のお蔭で伊勢神
宮に参拝できるという意味で、お蔭参りに行くときにはお金をもた
ずに出掛けても、途中の村々でお伊勢参りと一言いえば、宿やご飯
を無料で提供してもらえたほど優遇されていました。


それとかですね、抜け参りというものがあって、これは家族に無断で
抜け出して、伊勢神宮へお参りして帰ってきても、なんらとがめられ
ないという習わしだったとのことです。



こんな状況の中で、間違いなくお伊勢参りをしてきたという証しに、
伊勢神宮のお札をもらってきたわけです。そのお札は、現代のお札
のような意味合いではなく、ちゃんと参拝してきたという証拠とし
てお札を持ち帰ったとですよ。また、人気のある伊勢神宮へ参拝し
てきたという自慢の意味もあったと思います(¯―¯٥)


ほんで、持ち帰ったお札を粗末にはできませんので、神棚がある家
ではその神棚にお札を置いて、神棚が無い家では仏壇等にお札を置
いていたんです。(これも、ある意味神仏習合ですね)また、持ち
帰ったお札のために神棚を設置して、お札を祀るようになったとで
す。




今ではご丁寧に、神棚の三社造りなるものがありますけど・・・
たわけかっちゅう話しですたいo(`Д´*)oプンスカプン!!!

 



お金を稼ぐことは悪いことではなかですけど、神棚を製造する業者
の都合の良い解釈で、だんだん信仰が歪(ゆが)められていくこと
に、怒りとまでは言いませんが、心配しちょります。



他にも、三社造りの神棚では中央に伊勢神宮のお札を、正面右側
に氏神さんを、左には○○の神さんをと、ほざいちょる霊能者風の
輩(やから)が多かですけど・・・

あんたら、何様やっちゅうねん(関西弁を入れてみました(*`▽´*))



神道では天照大御神が最高位ですので、中央にそのお札を置くと
いうのは分かりますけど、正面右が次に偉い氏神さんのお札を置
くとか、左がその次とか・・・ 神さんを馬鹿にするにもほどほ
どにせぇっちゅう話しやねん。



人間ごときが、神さんの序列をどうやって決めるんじゃああああw



金儲けの神社とか業者の話しに、まんまと乗っかっとるだけじゃねぇ
か!たわけがっ!(佳蔵院、ここではものすごく怒っております)


お札を3枚並べるということは、神さんに序列をつくって拝むという
ことですよ。いつから、人は偉くなったんでしょうかね・・。



もう一つ、おまけに言っときますけど・・・
お札は、印刷業者が機械で印刷して折っております。朱色の印も印
刷ですよ。また、一枚一枚に神主さんが修祓や降神之儀をするわけ
ないですからね。

たぶん、納品されたお札を段ボールごと祭壇の前に置いて祝詞等を

上げているとは思いますけど、それさえも疑わしいことです。実際
祭壇の前にさえ、お札が入った段ボールを置いてない神社が多いと
思います。



なぜなら・・・ 神主さんといえども、神さんを易々(やすやす)
降神させること、また宿らせることはできないからです。人の意思
によって神さんが宿るってことはありませんから。

神さんは人から束縛されるものでは、ありません。


ただ、神さんの意思によって、お札を神代とすることはあるでしょう。



「欲」から信仰が始まると、都合の良い解釈が出来上がっていきます。
神仏に係わる物を提供する者も、それを望む者にも都合の良い解釈が
信仰の土台となっています。


「欲」から出発した信仰は、仮に良い事があったとしても、長続きし
ないはずです。良い事があった分、又はそれ以上に悪い事も経験して
いることでしょう。そして神様を祀っているのに、幸せを感じられな
い人が多いのではないでしょうか。




ちょっときついブログになってしまいましたけど・・・
信仰は自由です。自由なやり方で神さんを祀っても間違いないですか
らね。心から、神さんを畏(おそ)れ敬(うやま)い、感謝して拝む
のでしたら、その心に応じて神さんも感応することと思います。



(ブログ:神さんを祀るということは、どういうことなのか からの関
連した続きとして記事を掲載しています)


あ それからですね、「顔文字」と入力すれば、顔文字の変換候補が
自動的に出てきていたんですが、ちょっと前から出てこなくなっちゃ
いました。今は任意で顔文字を登録したんですけど。元に戻す方法や
それを分かりやすく紹介しているサイトを知っている人がいましたら、

教えて下さい<(_ _)>



次回のブログは、神道と宗教法人 です。




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したその下にでてきます。
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コメント: 27
  • #1

    ゆき (水曜日, 14 8月 2013 19:26)

    今日の話は、納得します。
    神社で、神殿よりも、それまでの参道や周りの木々に感じるものがあります。自然霊と思ってましたが、神様なのかしら。
    それと、お札ですが、御守りもそうなんですか~_~
    御守りを作るバイトをしたことがあって、全国津々浦々の御守りを京都のある場所で作成し箱詰めしてました。そう思うと御利益なさげ。でもついつい神社行くと買いますが。
    前にも言いましたが、金儲け主義的な。

    物に拝むのでなく、自身の心の持ちようと言うことですね。

  • #2

    なつき (水曜日, 14 8月 2013 19:34)

    いつも拝読しております。
    はっと気づきのある内容で、惑わされている自分に気づきました。
    3つお札を並べるのは習わしかと思っていました。

    私は面倒&なんか変な感じ、という理由でやらなかったけど、佳蔵院さんのおっしゃるとおりだな、と思いました。

    私は佳蔵院さんの博多弁とかわいい顔文字をとっても気に入っています。大好きです。
    残念ながら私も使いたいのに登録なく使えてない顔文字なので、お教えできる知識がなくて残念。
    かわいい顔文字復活お待ちしております!引き続き博多弁も☆

  • #3

    shimohaha (水曜日, 14 8月 2013 22:19)

    ありゃー!!!伊勢神宮のお札、印刷されとりますがな!
    (≧≦)
    今回も、納得ですばい。
    一時期、神棚がほしいと思ちょりましたが、今さら買わんでよかったばい。

    なんか、神主になりたいと伊勢へ行った息子は、神道の道を歩きはじめちょりますが。。。
    いろんな神社へ行くと、参拝記念にと行った先で御朱印帳に神主さんから、いまどきでいえば自記筆のサインはもろとりますばってん、コピー印刷された神社の名前と神主さんの名前を糊で貼られたのにはびっくらこきましたがね(ある意味凄い!)
    そげんな神主さんには、ならんごと祈るばかりですばってん。

    勉学中の息子にも、自分が選んだ道やけんが人のためになる仕事をせなち教えないけんごたぁ~

  • #4

    佳蔵院 (木曜日, 15 8月 2013 09:58)

    ゆきさん コメント、ありがとうございます。

    神殿の中に祀ってあるご神体というより、周りの木々や岩、土地
    等に神さんはいらっしゃいます。何千年も前から、そこにいらっし
    ゃるとです。

    そんな神さんを無視して、神殿のご神体に向けて私達が拝む姿
    を見た神さんは、きっと寂しく思われていらっしゃることでしょう。

    偶像崇拝的な信仰は、時として人の心を曇らせますね(¯―¯٥)


    お守りも、お札と同じですね。ただですね、全く神さんのご加護
    が無いのかと言われると、そうでもないんですよね。お守りや
    お札を持つ人の心によって、かなり変わってくる部分がありま
    す。また、神社におけるお守りやお札の取り扱い方でも、かな
    り変わってきます。このへんのことも、いつか機会があればブ
    ログで書くようにしますね(*´∀`*)



    なつきさん コメント、ありがとうございます。

    3つのお札を並べるのは、初めからあった習慣ではないですよ。
    今では5社、7社・・ また10社以上のお札の祀り方なるものも
    あるようです(*_ _) どこまで拡大するとねっちゅう話しです。ほっ
    とけば、100社ぐらいまでいくんじゃないでしょうかねぇ。

    言っちゃ悪いですけど・・・ 子供がキャラクターカードを集める
    ようなもんです。ポケモンのカードのように、お札を集める人も
    出てくるでしょうね(-’д-)y-~

    あら、方言と顔文字を気に入って頂いてますか。実はですね、
    方言とか顔文字なんかを使わなかったら、文章がかたっくる
    しくなると思って、使っているとです。これからも、自信を持っ
    て使うようにしますね(¯―¯٥)



    shimohahaさん コメント、ありがとうございます。

    ね、印刷でしょ。なんか味気ないですよね・・。心も何もこもって
    おらんとです。お札等を手にした人の心で、お札の中に神さんの
    席を設けてあげないといけんですね。

    息子さんは伊勢神宮で勉強中ですか。頑張っていらっしゃいま
    すね。神社等での仕事は、掃除に始まり掃除で終わります。掃
    除しながら自分の心も清めていくんでしょうね。

    お盆は帰省されてるんでしょうか。いつか機会があれば、お会
    いしたいですね(*´∀`*)

  • #5

    shimohaha (木曜日, 15 8月 2013 23:01)

    こんばんは。メルマガ、拝読させて頂きました。右脳での思考をしちょる時つうんは、右の頭がずぅ~んとするとですか?
    最近、耳がわるくなったちゃろか?と思うとばってんが、ある音楽を聞こうとすると、左耳からその音楽の音とはいえぬ音がずぅ~んと響くつうか脳へ振動するとです。まるで、音叉げな音ですばい。んで右の耳からは、全く聞こえんとですたいね。????
    老人性難聴かもしれんですけんど。(汗)
    脳神経の交差(右の脳と左の脳が交差し、右脳が障害を起こすと左半身に障害がでる)は、そのままの状態で反応としての感覚を感じがでんしゃ~とやろか?

    ※長男は、遷宮前のイベントやら、神社実習やら、バイトやらで帰省せんやったです。
    長男と一緒に、いつか佳蔵院さんに会えたら うれしかぁ~!!

  • #6

    心明聖 (金曜日, 16 8月 2013 01:46)


    子供の頃、母に言葉の由来やお経って、何処から?っとやら、人間が掘った観音様に何故、ご利益?っと質問して、面倒くさがれたのを思い出しました。

    母が生きていたら沢山、話したい事があったのにっと、思いました。

    今日もお話しありがとうございました。

  • #7

    佳蔵院 (金曜日, 16 8月 2013 06:29)

    shimohahaさん コメント、ありがとうございます。

    う~ん どうなんでしょ?医学的、肉体的なことは、shimohahaさ
    んのご専門になるので、私よりお詳しいと思いますけど・・・

    瞑想を行う中で考えられるとしたら・・・
    左耳から聞こえる音がズ~ンと響くとしたらですね、左耳の鼓膜
    が音を受けた際、鼓膜の振動がズ~ンとした重い響きになってい
    るのではないかと思います。つまり、鼓膜が硬直若しくは緊張して
    いるのではないかと想像します・・。

    ズ~ンとした響きが感じられた時、左耳の耳たぶを引っ張ったり、
    手の平で左耳を押さえてグリグリ回してみて下さい。もしかする
    と、それで正常に戻るかもしれません(¯―¯٥)

    時間がある時に、耳鼻科へ行って下さいね。

    長男さんは、帰省されなかったですか。考えてみれば、お盆は
    忙しい時になりますね。



    心明聖さん コメント、ありがとうございます。

    私も小さい頃は、色々と聞いていたような記憶があります。親と
    しては、めんどくさかったでしょうね・・(´エ`;)

    小さい頃の記憶といえば、ちょっと違いますけど・・・
    佳蔵院は扇風機のことを、「センタープーキー」と言ってました。
    母親が面白がって、扇風機を指さし「あれは、何ていうとね?」
    と、いつも質問してきました。質問されるたびに、センタープーキ
    ーと答え、又そのように答えるたびに母親から、「せんぷうき」と
    言うと、分かった?と言われていました。

    その時は「せんぷうき」と言えるんですが、突然質問されると、
    何故か「センタープーキー」となってしまいます。なんで、わざわ
    ざ余計な字(ター)が入るんかねぇと子供ながらに思っていたん
    ですけど・・・(ー_ー)

    ある時、自分で発音した言葉をしっかり聞いてないことに気付い
    たんですね。それから、「せんぷうき」と何度も発音して、脳に覚
    えさせたようですけど・・・

    それと、もう一つ疑問に思っていることがありました・・・
    余計な文字が入ったとしても、それがなんで「ター」なんだという
    ことでした。なんでやろ?と思っていたところ、テレビを見ててひ
    らめきました。

    野球にセンターという守備のポジションがあります。その頃野球
    に興味があって、野球に関する言葉を覚えている最中でした。
    んで、そのセンターと扇風機の「せん」がかぶって、ついつい「セ
    ンタープーキー」と混同させて言っていることに気付いたわけで
    す。

    ふと、過去の記憶が蘇ってきました・・・。
    まぁ 今更どうでもいい話しですけどね(*´∀`*)





  • #8

    心明聖 (金曜日, 16 8月 2013 17:10)


    私も一児の母親です。
    子どものきちんと発音出来ない可愛さ?がとても好きで高校生の息子に最近の如く小さい頃に発音出来なかった言葉を教えあげてます。

    ウザイみたいです。
    そんな子供の頃が本当に大事なんだなぁっと思います。子供の頃の話しを聞かせてもらえる人は、将来、心の余裕のある人間になると思います
    だから?かっ私もウザイっと言われても息子に小さい時の話しをしております(笑)


  • #9

    ゆき (金曜日, 16 8月 2013 21:12)

    今日は、京都の五山の送り火でした。(私は今年は、TVでだけ)
    実家では、近くで見られ震える感覚がありました。神様のお話とは遠いですけれども、送り火の火床に、手を合わせ自分自身を浄めることを毎年していました。ご先祖様、また今生きている者たちのために心からお祈りします。

  • #10

    佳蔵院 (土曜日, 17 8月 2013 17:02)

    心明聖さん コメント、ありがとうございます。

    ちゃんと発音できなかった子供の頃の記憶も、いまとなっては良
    い思い出です。子育てご苦労さまです<(_ _)>


    ゆきさん コメント、ありがとうございます。

    五山の送り火は壮大ですよね。生で見たことは一度もありません
    が、いつか観光がてら見てみたいです(¯―¯٥)

  • #11

    tomo (日曜日, 18 8月 2013 08:48)

    おはようございます。
    顔文字の件ですが参考になればとおもいます。http://support.microsoft.com/kb/2569050/ja

  • #12

    佳蔵院 (月曜日, 19 8月 2013 09:28)

    tomoさん コメント、ありがとうございます。

    最近ちょっと忙しくて、まだ試してないんですけど・・・
    この間、プログラムの起点?を数日前に戻したりしても、改善さ
    れなくて、なんじゃこりゃあああああw状態になっております。

    IME のバージョンアップをしたことが原因かなぁと思ってるとで
    すが、よく分からんとです。

    時間みつけて、やってみますね。
    ご丁寧にありがとうです<(_ _)>

  • #13

    ゆき (月曜日, 19 8月 2013 19:26)

    メールマガジン届きました。ありがとうございます。
    頑張ります。
    それと、21日間の神社参拝も行うことにしました。
    ブログもやっと全部読め、shimohahaさんや心明聖さん方々のコメントも含めすごく感慨深く思っております。
    お忙しいとは思いますが、ブログ更新を楽しみにしてます。

  • #14

    keizo-in1 (火曜日, 20 8月 2013 11:26)

    ゆきさん コメント、ありがとうございます。

    メルマガ、届いておりますか。良かったです(¯―¯٥)
    楽しみながら、瞑想を頑張って下さいね。

    あらぁ 21日間の神社参拝も始められましたか。
    ウンウン 良いことですねぇ。正直なお気持ちで、素直に又感謝
    とともに手を合わせて下さい。ちょっとした心の変化に気付い
    たところから、物事が動き始めますよ・・。

    shimohahaさんや心明聖さん、又他の方々から頂くコメントは、
    本当に考えさせられるものばかりです。コメントをお返しする
    佳蔵院は、すっごく勉強になります。

    ブログ更新頑張っていきますので、今後とも応援よろしくお願
    いします(*´∀`*)

  • #15

    まさ (水曜日, 22 1月 2014 22:00)

    人それぞれ、自分の考えで行うのが一番。

    人にとやかく言われては、神様も大迷惑ですよ❗️

  • #16

    佳蔵院 (木曜日, 23 1月 2014 19:28)

    まささん コメントありがとうございます。

    記事の最後の方にも書いていますが・・・
    信仰は自由ですので、祀り方もご自由になさって良い
    と思います。

    けれど、欲から出発した信仰は、ちょっと違うと思うと
    です(¯―¯٥)

  • #17

    scyth691 (火曜日, 04 2月 2014 09:39)

    まさに今日から三社神棚を祀ることになっていて
    その前にこちらの説を拝見し、 正直 ガックリ来ました
    所々うなづけたり、笑えたりしながら読ませて戴きましたが
    夢もなくなりました
    でも説の中で 1つ 救いは 「いい子にしてたら
    向こうから(神自身の意志によって)来てくれるかも知れない
    」と言う事です これで初めて お性根が入るんでしょうね
    いやはや 事実、現実は夢のないことが多いです
    でも夢があっても ただの木に毎日挨拶しても意味ないでしょうね
    大事なのは「手を合わす時の胸の中の清い精神」という事ですね 失礼しました

  • #18

    佳蔵院 (水曜日, 05 2月 2014 09:49)

    scyth691さん コメントありがとうございます。

    そもそも神さんを祀るということは、畏れ敬い、又鎮め
    るために祀ってきました。また、人々が知らず知らず犯
    したであろう罪や過ち等、穢(けが)れを祓い清めるた
    めに、村や町、国が神さんを祀ってきました。

    それがいつしか、人の欲から神さんを便利屋みたいに
    扱うようになり、個人でも神さんを祀るようになりました。
    もちろん、個人の欲からではなく、神さんへの純粋な
    信仰から、又人々の為に祀る人も多くいます。

    こんな経緯がありますが、信仰は自由ですので、どの
    ような目的を持って祀られても宜しいかと思います。

    清い心で神さんをお迎えください(¯―¯٥)

  • #19

    ヤマダ (土曜日, 01 3月 2014 06:25)

    鏡は邪馬台国の卑弥呼も多く求め、祭祀に使ってたと考えられ
    日本の信仰史では初期から重んじられていたと考えられます
    卑弥呼の頃ってことは、拝殿そなえない初期神社の時期にも重なります。

    鏡は、偶像崇拝ってんじゃなくって、神道の考え方で
    依り代としてあるもので、神との交信具、神が来訪する場としてあります。
    日本の神感の特徴として山折哲雄氏など幾人かが、テレポートや、同時出現を多方にする構造を上げています。
    各地に稲荷社だ八幡社だなんだとあって、それぞれに八幡神だのなんだのがそれぞれに現れるわけです。
    自宅の神棚も、そういった信仰する神との繋がりを持つ場として意味があります。

    鏡の話に戻りますが、古代の鏡というのは銅を磨いたもので、今のような研磨の技術もありませんし、
    今よりもぼけてゆがんだ像を写すものでした。
    太陽を反射し、光を放ち、中にいろいろな像がぼやっと浮かんでは消える鏡というものに
    古代人は神の来訪を読み取ったのです。
    あくまで鏡は交信の具であり、神が寄り付く場で、それ自体が神というのではないのですから、偶像崇拝というのはおかしいと思います。

  • #20

    佳蔵院 (日曜日, 02 3月 2014 07:14)

    ヤマダさん コメントありがとうございます。

    ブログの記事内容をコメント欄で議論するつもりはありま
    せんが・・・
    記事内容をよくご覧頂ければと思います。

    このブログは神鏡を学術的な見地から考察したものでは
    なく、神を祀るにあたって備えられる神鏡やお札を一般の
    人々の視点から書いたにすぎません。

    また、ブログの前半には「神さんが立ち寄る物、又神さん
    との窓口として備えられ、神さんそのもの 」「鏡を神代(か
    みしろ:神さんが宿る)とし、又鏡そのものを神とした」と書
    いております。

    偶像崇拝だけの対象として神鏡をとらえているわけでは
    ありません。


    もしかすると、神鏡を「神さんそのもの」「鏡そのものを神
    とした」という部分だけをとらえて、コメントされていらっし
    ゃるのかは分かりませんが。


    銅鏡の製造技術や反射等にに関しては、ずいぶん昔か
    ら学者さん達の書かれた書籍等がありますし、また博物
    館等で展示もされ、周知されていることなので、今更学
    術的なことを書くつもりはありません。

    ちなみに、ご存知かどうか分かりませんが・・・
    2014年1月29・30日に銅鏡に関する報道がありました。
    その報道の中で「鏡は古代の祭祀で用いたと考えられ
    ているが、具体的役割は不明だった 」という記載がある
    ように、実際はどのような目的で使用されていたのかは
    分かっておりません。



    古神道(原始神道)において、仮に神鏡を神代として使
    用していたとしても・・・


    当時の権力者は神鏡を神代としてはみていなかったと
    思います。なぜなら、銅鏡を製造したことからも分かる
    ように、銅鏡が写し出すものは銅の性質(銅を磨くと写
    る)によるものだということを知っていたからです。銅鏡
    が写しだす絡繰りを知らなければ、神代ととらえていた
    と考えることもできますが・・・

    神鏡を交信の道具として用いるというより、実際は別の
    目的、意図で使用していたと考えるほうが現実的に思
    えます。ただ、銅鏡の絡繰りを知らない身分の高い一部
    の人は神代として銅鏡をみていたかもしれませんが、大
    多数の人は銅鏡が神との交信の道具であるということは
    知らなかったでしょう。銅鏡から写しだされるものを見る
    ことができた人は一部に限られ、大多数の人は伝聞であ
    ったと思います。その伝聞から銅鏡を道具とみるより、銅
    鏡自体を神のように崇めていたと思います。

    憶測ではありますが、そのようなことや明治の時神鏡を
    ご神体とする法令が施行されたこと、また伊勢神宮では
    八尺鏡をご神体としていること、そして現代においても
    神鏡を神との交信の道具とみている人より、神鏡がどう
    いうものなのかよく分からないけど神と同じように崇めて
    いるそんな姿を、ブログでは「偶像崇拝的な信仰へと変
    化していった」と神鏡を表現したわけです。


    神鏡をみる視点によって、解釈が変わってくることをご
    理解頂ければ幸いです。

  • #21

    こま (土曜日, 13 12月 2014 19:09)

    日ュ同祖論ですね?
    それとも山窩のはなしでしょうか?
    世阿弥の話に展開したり、原始教会や栗須戸神社、
    剣山など、ワクワクします。
    秋田にもにいないはずの犬の血液型の犬種がいるとか
    話題になりましたよね。

    この手の話は大好きです。

    でも、私は現在、神道仏教日本に数多く
    信心するタイプです。

    信仰が商業と密接に関係している事は
    多少の疑問はありますが、許容の範囲だと考えています。
    (多大な財蓄をしているところは別として)
    逆になにを根拠に神様が哀しんでいる、呆れていると
    おもうのでしょうか?感情論を挟まずお聞かせ頂けないでしょうか。よろしくお願いいたします。

  • #22

    佳蔵院 (日曜日, 14 12月 2014 18:20)

    こまさん コメントありがとうございます。

    「日ユ同祖論」というのは、日本とユダヤに関した
    お話しですよね。ブログでは、日本とユダヤの先
    祖が同じという記載は一切しておりません。

    「山窩」というのは、不特定多数の集団のお話し
    でしょうか?それも関係はありません。


    「なにを根拠に神様が哀しんでいる、呆れている
    とおもうのでしょうか?」というご質問ですが・・

    2013年8月14日のブログを読み返してみました
    が、神様が哀しんでいる、呆れているとする趣旨
    の記載を、私がどこに書いているのか見当が付き
    ませんので、何ともお答えできません。

    もしかすると、コメント欄にそれらしい記載を私が
    書いているかもしれません。もしそれを指していら
    っしゃるのでしたら、「擬人法」という点から見てみ
    て下さい。また、私の「感想」の根拠について質問
    なさっているのでしたら、信仰が歪められていると
    感じていること、又「欲」から出発した信仰に疑問
    があることを根拠にしています。

  • #23

    こま (火曜日, 16 12月 2014 13:44)

    佳蔵院さま

    おっしゃる通りですね、
    わたしもそう思いました。

    感じる?きもちを語彙の少ない私では
    表現出来なかったようです。

    欲を端的に見ると我々も欲深に人間になるのでしょうかね。

    ありがとうございました。

  • #24

    佳蔵院 (水曜日, 17 12月 2014 12:35)

    こまさん コメントありがとうございます。

    人には欲があります。また、欲深くもあります。
    欲を全否定するつもりはなく、私は欲が必要
    と思っています。欲によって身を滅ぼすことが
    あれば、生きる電動力にもなると思っていま
    す。ただ、欲の対象や使い方に注意を向ける
    べきだと思います。

  • #25

    こま (金曜日, 26 12月 2014 02:13)

    温かいお言葉、感謝申し上げます。

  • #26

    ゆい (水曜日, 29 4月 2015 02:13)

    私の祖先は京都で陰陽師寮にいたという、家系図的な物が本家に遺されておりました。
    幼い頃から、そういった意味で皇室とも縁のある家系でしたが、残念ながら陰陽師としての素質のある後継者に恵まれず、また陰陽師制度がなくなった為、陰陽師としては名乗れなくなったと聞かされ育ちました。

    それでも、家系的な決まり事で、陰陽道についてから始まり、御札の書き方や呪詛等、また他宗教についてなども座学を受けていましたが…その時代の陰陽師のような能力的な事は一切ない私です(笑)

    なので一般的には、私は無宗教ですが…神様はいらっしゃると思っています。
    また、想いを込めた御札には力があるとも思っています。

    ただ、やり方が無茶苦茶で…周りからは邪道だと言われ、神への冒涜だとも言われてしまっています(^_^;)

    例えば、我が家には神棚があります。
    ですがその神棚は…玄関の靴箱の上に鎮座しています。。
    まず、神棚の場所がおかしいと。。ええ、それは重々承知ですが、見上げないと見る事のない神棚よりも…家族が毎朝目につき、また『行ってきます!ただいま!』と神様にも声を掛けられるこの場所が…1番神様を家族全員が身近に感じられて、神様もその方がいいのでは?と思って、そこにお祀りさせて貰っています。

    また、御札も…いくつかあります(-_-;)
    よく神様が喧嘩するとか言われますが、そんな事で喧嘩してしまうのが神様?って疑問もあり、我が家では和気藹々と仲良くしてもらいたいので…。。

    全然違う宗教のモノもあります。。
    陰陽道のモノ…キリストのマリア様まで…その神棚の付近(玄関付近)に集結してます。

    それぞれ家族が、家を出る時には…見守ってくれると信じ…帰ってきた時には感謝をし…そんな空間があっても良いのではないかな?と思うのですが…きちんと宗教として祀っていらっしゃる方から見れば、批判の対象となります。・゚・(ノ∀`)・゚・。

    でも、この記事を読んで…怒られるかもしれませんが、ちょっと安心しました。
    形に囚われず、自分が神様にしたい事…神様への感謝の気持ちの表し方も人それぞれでいいんじゃないかな?と。。
    誰に強制される訳でもなく、誰に指示される訳でもなく…こういう無宗教もいいのかなって、少しホッとしました。。

    これまたタブーかもしれませんが、神棚を朱色で塗りたくて…最近は『神様のお家をリフォームしてもいいですかね?』なんて神棚に声を掛けたりしてますが…リフォームの間は神様は野宿してもらうしかないのかな?と、ちょっと考えてます(笑)

  • #27

    佳蔵院 (木曜日, 30 4月 2015 12:58)

    ゆいさん コメントありがとうございます。

    信仰は自由ですので、どのような形があっても宜しいかと
    思います。人様に迷惑をかけることなく、より良く生きて
    いければ、宜しいと思います(*'▽')

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