仏教のお経の意味


さすがに、朝晩は冷えてきましたねぇ~ (´Д`) 明日からは・・・
12月ですよ!12月・・・。早かねぇ~ 一年はあっという間です。
(前回のブログは、瞑想について、もう一度・・・ です)


サイトでは、あまり深いところへ入らないようにしようと思っていたん
ですけど、サイトを作り始め(2011年12/9)て丸2年が経ちそ
うなところ、その間にいろんなことが書けましたので、少し深いところ
も書いていこうと思っちょります(¯―¯٥)

 


そこで、今回は神仏的宗教的なことについて、少し深く入ったところを
書いてみようと思います。



日本では、宗教といえば・・・ 神道、仏教、キリスト教等がメジャー
ですが、根本的なことを勘違いなさっている方がいますので、先に書い
ておきます。


簡単にいえば・・・ 仏教というものは、仏の教えを説いたもの
です。キリスト教もイエスの教えを説いたものです。



仏教にはお経というものがありますが、お経は仏が死んだあと、真理
や道理等について話した仏の言葉を弟子達が書き残したものです。

聖書もイエスが死んだあとに、イエスの教えを神様の言葉として、又
その行動を様々な人が書いたものです。


どちらも、仏やイエスが死んだ後に後世の人々が書いたものです。



特に仏教のお経を呪文のようなものと勘違いしている人がいますが、
お経は呪文のようなものとは全く違って、基本的に仏の教えを書いて
いるものです。



ちなみに、釈迦は呪文のようなものを否定しています。ただ、仏は釈
迦だけではありませんので、悟りを開いた人がその教えを書き残せば、
仏の教え・・・ つまり、お経になるわけでして、そのお経に呪文的
な要素があっても問題はないということになります。

 



神道はというと、以前もブログに書いていますが、教典や教義のよう
なものはありません。「教え」というものがあるとすれば、神道に準
じた信仰を人が別の信仰として教典や教義に起こしたにすぎません。
まぁ、俗にいう新興宗教や新宗教のことですね。

もちろん、新興宗教や新宗教等と呼ばれるものには様々な信仰があ
って、神道だけでなく、仏教に準じたものもあります。




お経に特別な神秘性を感じている人もいますが、お経に書かれてい
るものは、仏の教えそのものですからね。

その教えも、釈迦が入滅した数百年後に文字として書かれました。
それまでは、ずっと伝承だったわけです。数百年の間に、釈迦の教え
は伝承者の主観等も入り、恐らく変化した部分もあるかと思われます。
(伝承の他に、パーリ語で記されたものがあります)


そんなお経なんですが・・・ なぜお葬式等でお経が読まれる
のでしょうか?なぜ仏さんの教えを唱えるのでしょうか?



お経を何故唱えるのかということの前に・・・
実際お葬式に僧侶が携わることは、本来ありませんでした。ですから、
葬式で僧侶がお経を読むことも基本的になかったと思います。



当然といえば当然なんですが・・・ 仏の教えは、生きている人へ向
けた教えだからです。仏の教えを実行しながら仏に近付くために、お
経を唱え仏の教えを自分に言い聞かせているわけです。



お釈迦さんの教えが数百年のあとにサンスクリット語で記され、それ
が当時の中国に伝わって漢語に翻訳されました。その漢語で書かれた
お経が日本へ伝わったんですが・・・

もしかすると、お釈迦さんの教えがお経として伝わっているものは、
ごく一部かもしれません。




仏教が中国へ伝わったとき、当時の中国に広まっていた道教や儒教
等と仏教が習合され、お葬式や先祖供養の面を取り入れた仏教にな
ったわけです。


例えば、位牌等も儒教の儀式で使われていたものが変化したものと
言われています。



つまり、お釈迦さんの教え・・・ 仏の教えである仏教が時を経て、
当時の中国へ、そして日本へ伝わるなかで、本来の仏教とは違った
ものへ変化したわけです。



そこで・・・ お葬式で読み上げるお経がどんなものなのかと考える
と、お経を読み上げる意味が非常に難しくなってきます。

お経自体は仏の教えですので、ありがたいものなんでしょうけど・・
お葬式で亡くなった人へ読み上げる意味としては、あまり無いように
思えるとです(´-ω-`)



釈迦は、亡くなった人があの世で実践すべきことを教えているわけで
はないので、お葬式で読み上げるお経は・・・ 儀式的なものと思わ
ざるをえなくなっちゃいます。



この点、お坊さんはお経を唱えることに功徳があるので、その功徳を
亡くなった方へ向ける、つまり、回向(成仏や供養)としてとらえて
いるように思えます。



う~ん でもなぁ~ なぁ~んか違うと思うっちゃんね(;¬_¬)

仏教そのものは、本来人の生き方について教えてあるわけでね、お
経を唱えることに功徳があるといえば、そうなるでしょうけど。

だって、仏の教えを唱えるわけですから、お坊さんや檀家の人にと
ってみれば、先生(仏)の教えを復習することになるわけで、善い
行いになるわけですたいね。だから、功徳という表現も間違いじゃ
ないと思うけど・・・



佳蔵院が危惧していることは、お経を唱えることに功徳があると言え
ば、一般の人はお経に特別な秘めた力等があると勘違いしてしまう人
もいるということです。

 

結局のところ・・・
お坊さんなんかが、お経に功徳があるという場合の功徳とは、仏の教
えに従って生きている人へ向けた言葉と思ったほうが良かです。

学校の先生が学校の規則や授業の受け方、又生き方や考え方、方法等
を実践させるために、まずは生徒に唱和させるわけです。唱和させて
その教えに従って、学校生活を送らせようとするわけですたい。

 

 

だから、唱えることが基本的な善い行いとなり、それを功徳というわ
けですね(¯―¯٥)



家のお仏壇の前でお経を上げることも、本来は仏教学校の生徒とし
て、先生の教えを唱えることで、その教えを日常生活で実践する誓
いを立てているようなものなんです。

熱心な檀家の人は、仏の教えに従って生きようとなさっています。



しかし、仏教とは何たるものかを知らない人からすれば、お経が神秘
的なものに思えてくるんですね。仕方ないといえば、仕方ないですけ
どね(*´~`*)


お経そのものに不思議な神秘的な力があるのではなくて、仏の教え
に従って実践していかなければ、なぁ~んも意味が無いこともお経
は伝えているとですよ。実際に行動しなければ、いかんとです。

 

 

 

だからじゃないですけど・・・
以前のブログで般若心経について書いているものがありますが、そ
こでは「仏説」を外して読むことを勧めています。

理由は、霊的な影響の可能性があるからなんですが・・・
実は、もうちょっと深い理由があるとです。

 

 

 

次回はそこらへんのことをもう少し詳しく書きますね(¯―¯٥)

 

 

 

次回のブログは、お経から響く振動の意味 です。


 

 

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したその下にでてきます。
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コメント: 14
  • #1

    shimohaha (土曜日, 30 11月 2013 18:01)

    毎回、ちぃーと的ハズレですばってんが、仏教が一番多く信仰されとるごとあるけんど宗派も多く場所によっては、しきたりも違ってたりで統一されてないのが不思議に思うとです。お釈迦様は1人なんになぁ?と。後付けされたんが理解できます。
    世界を見渡せば宗教が発端の戦争があったりで、そんげんことして神様と崇める資格があるちゃろっか?同じ地球で生きる命が大事やん。
    良きこととして人間が作り上げてきた宗教であっても金儲けや傷つけ合うほど愚かなことはないと思うとです。互いが互いを認め合う努力もせんで、神さんも喜びはせんやろね。
    長男の影響で神道も、次のブログの更新に興味深々ですばい(〃^ー^〃)


    ば宗教せんばば、

  • #2

    フィット (土曜日, 30 11月 2013 21:15)

    深いブログです。読んでいてホッとします。
    お経と言えば、一休禅師でしたか、亡くなった人の
    家族から「お経をあげて欲しい」と頼まれたんですが、
    一休禅師は亡くなった人の頭を石で叩いたと。
    驚いた家族に向かって「死んでから聞いても
    遅いんじゃ」と叫んだそうです。
    (何かの本で読みました。記憶違いでしたら、
    宗派の方々ごめんなさい)。
    生きているうちに、生きる術、目的を知らないといけないということですね。
    仏教も、キリスト教も、大雑把に言えば、
    人間というものの説明書ということでしょうか。
    けれども、shimohahaさんもおっしゃられるとおり、
    キリスト教圏でも戦争が絶えませんね。
    宗教が戦争の発端となるとは、もはや、本末転倒もいいところ、神様はそんなこと決して望んでいないと思いたいですよね。けれども、人間には自由意思があってしまうんですね。
    人間の生きる目的、これを突き詰めていきますと、
    生きる目的→人間ができた理由→
    地球ができた理由→宇宙ができた理由→
    神様そのものが存在する理由、
    この流れの在り方に突き当たるのではないでしょうか。
    もし、宇宙意識そのものが唯一の真理とするならば、
    一番最初の”意識”の存在意義って何なんでしょうかね。
    意識そのものが、自己を認識するため・・・、何のため?意識が最初からあった理由って何?と思います。
    私、キリスト教信者ではないんですが、聖書も
    そういう点には触れていないんですね。
    創世記以前のスタート地点が存在した理由、きっと、
    人知を超えた世界、そして、人間はそこまで知らなくてもいいということなんですかね。
    私たちの潜在意識は知っているんでしょうか。
    次回も楽しみとです。九州弁、むずかしいとです(笑)










  • #3

    佳蔵院 (日曜日, 01 12月 2013 09:37)

    shimohahaさん フィットさん
    コメントありがとうございます。

    神仏は大きな意味では一つなんですけど、私達に喜怒哀
    楽のような感情があるように、神仏も一つの中にいろんな
    側面があります。例えば、喜怒哀楽の「喜」にあたる神仏
    がいたり、又「怒」にあたる神仏がいます。ですので、国や
    時代によって、神仏の側面が変わって見えるとです。

    また、その違った見方によって、神仏の信仰の仕方も変
    わってきます。結果、いろんな宗教や宗派が誕生すると
    でしょうね(¯―¯٥)


    宗教戦争は、一神教としていることが問題かなぁと思っ
    ています。そして、神仏を全知全能と、又絶対としている
    から、争いが起こってきます。理由を書けば、長くなりま
    すので、ここらへんで止めておきますけど・・・

    神仏は全知全能ではありません。人間が全知全能と決
    めつけているだけで、又全知全能を宗教に利用してい
    ただけです。神仏が全知全能でないから、この世が存
    在しています。これらの事も、書き始めますと長くなっち
    ゃいますので、止めておきますね(*´∀`*)

    フィットさん 奥が深いですねぇ。
    小さいコメント欄では詳しく書けませんので、簡単に書
    くとすれば・・・

    人間の生きる目的~神仏が存在するという流れの前に
    自分とは何か?又は、自分とは何者か?というものが
    あります。これを突き詰めていくと・・・ 私達は限りなく
    神仏に近付きます。もしくは、自分と神仏が一つになり
    ます。そこから、生きる目的や神仏の存在目的が生じ
    ます。つまり、私達が生きる目的が神仏の存在目的と
    なります。

    一番最初の”意識”の存在意義→自己を認識するため
    ・・・、何のため? 何のために自己を認識する必要が
    あるのかと考えてみれば、答えになるかどうか分かり
    ませんが・・・ 

    たぶん、意識が存在した瞬間に「比較」(←表現が適切
    ではないようですが)も生じたために、自己を知る必要
    があったのではと思います。

    意識が最初からあった理由って何?
    意識が最初にあったかどうか分かりませんが・・・

    前置きとして、私達の世界の言葉で他次元のことを説
    明するには限界があります。恐らく、私達が更に進化し
    て、5次元や6次元の世界で存在できるようになれば、
    その理由を表現できるかと思いますが。

    そこで佳蔵院のひ弱な語彙から表現するとしたら・・・
    意識が最初に存在していたというより、可能や不可能
    のような世界、やっぱり上手く表現できませんけど・・・

    生き物に内在する意識というようなものが最初に存在
    していたのではなく、又自由に思考するというようなも
    のが在ったのではなく、可能・不可能のような次元の
    中で意識が生じたのではと思います。

    可能・不可能の次元を上手く表現できませんが、なん
    となくその言葉が近いような感じがします(;¬_¬)

    このへんのことを書くとなれば、コメント欄ではとても
    とても書けませんので・・・ ブログで色んな世界をもう
    少し深く書いてから、機会があるときに書くようにしま
    すね(・´∀`・)

  • #4

    フィット (日曜日, 01 12月 2013 15:58)

    佳蔵院さま、コメントありがとうございます。
    ブログ楽しみにしています。

    あ、引っ張る訳ではないので、ご承知置きを、少しだけ
    感想です。

    可能・不可能な次元の中→
    世の中のあらゆる、物質や感情は、二極化してますよね。
    陰⇔陽しかり、嬉⇔悲、男⇔女、・・・。

    確かに、単に人間が定義付けしたものに過ぎないんですけど、もしかすると、その中に真理ってあるかもです。

    この二極の間って、すごーくバランスのとれた状態
    ですよね、どちらかに傾きすぎると、良ろしくない結果
    を招く。
    (男と女の間って微妙ですけど、それは、さておき)

    私、いつもこんな事考えている訳ではないので、
    変人と思わないでくださいね。

    で、
    究極の最初はものすごーく、中立な状態、
    あえて引用するなら「完璧な”中道”」だったのではないかと思います。

    それが、何かの理由があって、バランスが崩れ→ビッグバン→二極化の始まり、てな具合。

    この世の中は、プラス、マイナス、色々な出来事がそれぞれの事象として方向付けされて表現されてますけど、
    本当の主役は「0(ゼロ)」。

    ”中道”さんが、自らのバランスを保とうと、真ん中に戻す自然現象を起こすのかもしれません。

    すみません、長くなって。


  • #5

    佳蔵院 (日曜日, 01 12月 2013 21:12)

    フィットさん コメントありがとうございます。

    「中道」に関しては、ブログでも多少書いているところもあ
    りますが、仏教の思想哲学なります。また、二極は「陰陽
    説」からのことで、中道と関係しています。

    その中道に関しては、お釈迦さんが真理を見出していて、
    中道から色んなことが生じることも話されていました。中
    道から悟りや真理等が生じる世界を現したのが、別次元
    の神仏の空間かもしれませんね。

    神仏の誕生に関しては、左メニューの「神様との瞑想(心
    )」なんかに多少書いていますので、ご覧になってみ
    て下さい(¯―¯٥)

    「意識が最初からあった理由」に戻れば、「意識がある」
    前提には、意識を生み出す理由があったと考えることが
    可能ですし、完璧な中道な状態であれば、何かしらの両
    極が必要になってきます。また、ビッグバンを引き起こす
    何らかの理由の存在も必要になってきます。

    その「何か」も、この世では表現できないものになるの
    ですが・・・ 左メニューの「神様との瞑想(心)」では、無
    秩序や法則が無い世界等から意識(神仏)が生じたと
    書いています。しかしそれでも、意識(神)が生じる原因
    を説明したことには成り得ません。

    無秩序や法則が無い世界。これがフィットさんが書かれ
    た「0(ゼロ)」のことになりますが・・・ それを別な表現
    で簡単に表すと、可能・不可能というような世界・・・ 
    抽象的な表現になりますけど、その言葉が近いかなぁと
    思うとです。しかし、意識が生じる何かを説明できんとで
    すよね(¯―¯٥)

    次元が違う世界を説明しようとするには、やっぱ無理が
    あるとでしょうね。

  • #6

    ゆき (日曜日, 01 12月 2013 21:17)

    今回と、もう一つまえのブログは、なかなかいろんなことを考える内容でした。
    今、こどもが人間関係に悩み、ちょっとウツ状態だったので、それを重ねて、読ませて頂きました。

    般若心経や祝詞をただ一生懸命詠んだとしても、何も変わらないこともあります。それに付随して、自分が変わらないと。詠むだけなら、皆幸せになりますよね。

    中立も、プラスマイナス0⃣がいいけど、陰陽も長短も人の見方によったら、変わっていきます。難しい所です。

    般若心経も祝詞も、何かしら信じて詠んでます。
    佳蔵院さんに質問なんですが、ブログで、いつでもどこででもよめばいいわけではないようなことを書かれてたと思うんですが、神社やお寺で、違和感を感じる所では唱えない方がいいのですか?
    またブログで、お教え願います。

    12月ですね。クリスマスムード満載のネオンチカチカになってます。

  • #7

    フィット (日曜日, 01 12月 2013 22:03)

    ゆきさん、こんばんわ、横から入ってすみません。
    佳蔵院さん、私コメント書きすぎですか?
    もし、そうでしたら、ご指摘くださいませ。

    ゆきさんのコメントを読んでおりまして、感じ入るところがありました。
    こどもさんの事、たいそうご心配なことと思います。
    実は、私自信、つい最近まで診療内科に行っていました。
    診療内科は、3件くらい行きましたね、でも、私が行った
    ところは、どれも薬での対処療法なんですね。
    私の場合、どちらかと言いますと、神経症に近いんですけど、これって、なった本人しかわからないと思んです。
    どういうことを思うかというと「あー、心さへなければこんなに苦しくないのに」となるんです。
    肉体的にはどこも悪くないのに、動けないんです。
    病は気からとはよく言ったもので、”気”が全然こないんです。厚かましいようですが、こども様の人間関係での悩みとてもよくわかります。心でわかります。
    そんな時、偶然、このサイト知ったんです。
    佳蔵院さんには、鑑定でシックリと指摘をいただきました。本当に感謝しています。元々、仏教とかには興味が
    ありましたけど、これまで数多くの書籍とかの中でも
    ダントツで心に入ってきます。すごーく、心にフィット
    します。なので、ペンネームフィットなんです。
    お子様、早く立ち直れるといいですね、私たちの魂は
    繋がっていると思えば、皆さん味方です。
    嫌な相手には、中々そう思えませんけどね。
    でも、暖かい心でつつんでくれる人、必ずいます。
    無償の愛をくれる人がきっといます。
    見ず知らずなのに、一方的でごめんなさいね。
    佳蔵院さん、今回3回も投稿して、重ね重ねすみません。

    ゆきさんのお子様が早くよくなりますように、
    私も祝詞をあげてお祈りします。





  • #8

    ゆき (日曜日, 01 12月 2013 22:46)

    フィットさん、shimohahaさん
    ありがとうございます。
    こどもも私も弱いんですよね。私は、結構歳的なもんもあって、我慢できますが。

    佳蔵院さんの前のコメントに、相手を嫌うだけでは……というのがあって、いろんな人間、考え方があるのを踏まえられるようになったんです。
    それでも、心が凹むことがあり、耐えること出来ないことあります。
    佳蔵院さん、その時は、祝詞や般若心経を詠んでみたらいいのかな?

  • #9

    佳蔵院 (月曜日, 02 12月 2013 18:20)

    ゆきさん フィットさん コメントありがとうございます。

    神社仏閣で違和感を感じるところでは、祝詞や般若心
    経等を読まれないほうが宜しいかもしれませんね。霊
    的視点からみて、神社仏閣がどういう所なのかもメル
    マガで書いていたと思いますので、参考になさって下
    さい。(メルマガの中盤以降に書いていたと思います)

    ゆきさんは祝詞の読み方をまだご存知ではなかったの
    ですね。祝詞の読み方はメルマガVol.17に掲載して
    いますので、配信までもうしばらくお待ち下さいね。

    心が折れそうなときは、祝詞をお勧めします。もし、メル
    マガの配信までお待ちできそうにないようでしたら、そ
    の旨をメールにてお知らせ下さい。祝詞の読み方の部
    分を送信します。

    般若心経については、少し特殊な部分もありますので、
    控えていらっしゃったほうが宜しいでしょう。


    フィットさん どんどんコメントなさっても宜しいですよ。
    コメントに書かれていたことは、全然おかしなことでは
    なくて、思考を煮詰める作業になります。

    メルマガの中盤以降、思考を煮詰める作業が出てきま
    す。他のメルマガの作業をされながら、思考を煮詰める
    ことをなさっていけば・・・

    きっと、面白いことが起こることでしょう(¯―¯٥)

    フィットさんは特別な良い能力をお持ちです。その能力
    を上手く活用できるためには、という視点から思考を煮
    詰めていくと宜しいかもしれません。

  • #10

    shimohaha (火曜日, 03 12月 2013 07:47)

    おはよーございますo(^-^o)またもや、書かせて頂きます。フィットさんのコメント、すごく深いですばいね。たわいないことばかり書いとう私には、こげんことも、考えられとるん?へぇー!と驚くばかり。有りがたく勉強させて頂きますた!佳蔵院さんに出会い、かれこれ1年半になりますばってんブログやTwitterでも毎回いい心の勉強させてもろとります。佳蔵院さんのブログを通して、神さんから多くの方々とのご縁やや学びをきんちゃんも頂いとるとです。

    瞑想がまともにできんとて
    顔が見えんとて
    生きる場所が違うとて
    共に生きる身として
    心の繋がりを頂けることに感謝しとります。






  • #11

    keizo-in1 (火曜日, 03 12月 2013 17:09)

    shimohahaさん コメントありがとうございます。

    フィットさんは、奥が深いですよねぇ~(¯―¯٥)
    きっと、瞑想をされながら新しい境地へたどり着かれる
    ことと思います。

    shimohahaさん 褒めて頂いても・・・
    なぁ~んも出てきませんからね('v') 

    私も皆さんから沢山のことを学ばせて頂いています。
    皆さんとの出会いに感謝しています(*’▽`人)゚

  • #12

    shimohaha (火曜日, 03 12月 2013 20:46)

    読み返して、びっくり!誤字脱字どころか。。

    予測変換をそのまんま、書き込みしとりました!(///∇///)

    ごめんなさぁーい!m(__)mペコリ

  • #13

    ゆき (火曜日, 03 12月 2013 21:04)

    私も再び。
    私も自分のコトしか考えてないコメントで恥ずかしく思います。
    私も佳蔵院さんのおかげでいろいろ考えさせられたり、コメントの方々の意見で助けて頂いてます。
    お出会いもさせて頂きました。

    フィットさんとshimohahaさんのお陰で、子どものことも深く考えてたのが心がスーッとしました。
    ありがとうございます。
    人間関係ではありますが、仕事のことなんで、本人もよい経験だと思います。

    メールではありますが、本当にお顔も見えないのに、心強く感じてます。

    私たちのために祝詞もあげて頂き感謝です。
    読み方があるそうですが、仕事中にも、小さい声で、祝詞を繰り返し言ってます。
    自分が、何となくホッとします。

    佳蔵院さん、その配信まで待ってます。

  • #14

    keizo-in1 (金曜日, 06 12月 2013 19:43)

    ゆきさん コメントありがとうございます。

    仕事を通じて、いろんな事を学んでいくんですよね。
    み~んな、仕事や家事、育児、学業、スポーツ等を通じ
    て学んでいくとですよね。

    学んでそれが身に付いたとき、人が成長するんでしょう
    ね(¯―¯٥) 成長するきっかけが分かった時、頭の中の
    モヤモヤがいっぺんに無くなり・・・

    あぁ~ こういうことだったのかぁ~と悟ります。


    その時は、めっちゃ気持ち良かです(*´∀`*)
    あとは、気付きをそのままにするのではなくて、記録し
    て、行動が必要であれば、実行に移せるようにせんば
    いかんとでしょうね。

    さぁさぁ、少しずつ気持ちと行動を変えていきましょ!

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