お経が霊に与える影響と般若心経について


さてさて、前回のブログ(お経から響く振動の意味)の続きを書いてい
きますね。

人が亡くなったあと、お迎えがない、また「死」が理解できない魂を包
むものは、深い暗闇です。意識(魂)がいくら叫んでも、誰も応答して
くれません。

 

 


なにがどうなったのか分からないまま、暗闇の中をさ迷い続けます。



そんなとき、ある振動に気付く時があります。それまで、暗闇以外に何
もなかった中で、ある振動に気付くときがあります。



恐らく亡くなったあと、お迎えがなかったり、また死を悟ることができ
なかった意識(魂)が初めて気付くものは、お経の振動や悲しみのよう
な感情(振動)だと思います。

悲しみのような感情(振動)とは、亡くなった方へ向けられた、家族や
友人等の悲しい気持ちのことです。




振動と書いていますけど、音が空気中を伝わるときの振動と同じよう
に考え下さいね。前回のブログでも書いていますけど、この世と霊的
世界は表裏一体の関係であって、例えば、空気中を伝わる声の振動と
表裏一体にあたる振動が霊的世界でも流れると思って下さい。




暗闇の中で・・・
お経や悲しい感情のような振動に意識(魂)が気付いたとき、「死」を
理解し始めることでしょう。もしかして、自分は死んでしまったのでは
ないかと思うようになってきます。


お経や悲しい感情のような振動が意識(魂)の中を流れ続けるなか、
「死」を悟り、また死を受け入れたとき、お迎えや神仏の光等が現
れ、導かれていきます。



このようなことを考えると、お葬式等で上げられるお経に意味が生じ
てきます。お経に書かれている内容を理解できなくても、「お経」が
きっかけとして、「死」を理解できるようになっとです(¯―¯٥)


実はお経だけでなく、他宗教の儀式でも同じことが言えます。例えば、
神道の神葬祭やキリスト教の葬儀において行われる祭詞や賛美歌等の
声の振動が、表裏一体の振動として霊的世界でも流れます。



葬儀に集まった方の深い悲しみ・・・ 
例えば、「泣く」「偲(しの)ぶ」等の声の振動も、表裏一体として
その振動が霊的世界でも流れます。大勢の方の悲しみが、また家族の
深い悲しみが霊的世界を流れる一つの振動(信号)として、流れます。




魂(意識)には耳はありませんから、普段私達が耳で音を聞くのと同
じといわけではありません。しかし、意識=魂=記憶=情報には、生
前に聞いた記憶が残っているとです。

生前に聞いた覚えのあるお経や賛美歌等が魂の中にあるとです。



「亡くなった方に向け」て、この世で発せられたお経や悲しみの振動
が霊的世界においても、似たような振動(信号)として流れ、その振
動に生前の記憶(魂の記憶)が同調したとき、「お経」や「哀悼(あ
いとう)」を認識できるとです。



お経に書かれていることが分からなくても、お経が意味するものを悟
るとですたい。つまり、自分の「死」を理解できるとです。お経に書
かれている内容が生きている人へのアドバイスであったとしても、お
経は葬式等で上げられているので、お経から「死」を理解できるとで
す。自分が死んだから、お経が上げられているということ、また悲し
まれていることが分かるんですね。



亡くなったあと、仏教では49日間お経を上げます。初七日~四十九
日の間、宗派によるかもしれませんが、週一回お坊さんが自宅等に来
て、みんなでお経を上げます。神道でも、十日祭(初七日に相当)~
五十日祭(四十九日に相当)、また一年祭等があり、亡くなった方の
供養や祭りを行います。



度々行われる供養や祭りの中で、魂は「死」を理解していきます。
この世に生きる人の悲しみから、「死」を受けとめるようになり
ます。

 


亡くなったあとの意識=魂=記憶=情報の中には、生前の記憶の他
に前世やまたそれ以前の記憶も含まれています。また、この世に生
まれてくる前の霊的世界では、意識=魂=記憶=情報が他の魂と融
合していますので、他の魂が経験した「強烈」な記憶等も魂の一部
としてあります。



ですので、前回のブログのコメント欄に外国人の方に関するご質問が
ありますが、外国人の方へ向けられたお経であっても、恐らくその魂
は、何の為にお経が上げられているのかが分かるかと思われます。

 


「お経」それ自体の振動が特別というわけではく、お経に書かれてい
る内容やお経を読む目的、感情等が重要になってきます。


また、お坊さんによるお経が特別というわけではなく、私達がお経を
上げる目的や感情等が大切になってきます。





・・・ということで、
お葬式に上げるお経に関しては、これくらいにしてと。

仏教のお経の意味の最後に書いていました、般若心経の続きを書い
ていきます。

 



「仏教のお経の意味」の最後に、仏説を付けずに般若心経を読んで
下さいと書いていますけど・・・ 

般若心経の題目は、「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」となっています
が、その「仏説」を付けずに読んで下さいということです。(お経
によっては、「仏説」がついていないものもあります)



その深い理由として、般若心経が他のお経と比べ、特殊という理由
が一つあります。どういうことかと言いますと・・・


仏教におけるお経は、口頭による伝承でした。釈迦が入滅したあと、
その弟子達によって釈迦の教えが伝承されていきました。ですので、
記録されたお経の大半は、「如是我聞(私は、このように聞いてい
ます)」という出だしで始まっています。


つまり、釈迦から私はこのように聞いていますと述べたあと、釈迦の
教えが続く形式になっています。

ちなみに、その記録は釈迦が入滅したあと、約500年後ぐらいから
記録されたと言われています。釈迦の教えは、入滅して500年ぐら
い経ってから、広く知れ渡るようになったようです。



んで、お経の出だしは、
「如是我聞(私は、このように聞いています)」
から始まるんですけど・・・

般若心経の本文の出だしは、「
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」から
始まります。

 



仏(釈迦)からこのように聞いていますという形式ではなく、観自在
菩薩の悟りは、深い智慧(ちえ)の完成に行じるとき・・・ という
出だしになっています。


釈迦の弟子達の口頭による、伝承の形式にはなっておらんとです。

 

また、観自在菩薩は私達にも親しみがある、観音様のことと解釈でき
そうなんですど、般若心経にある観自在菩薩は、実は修行者のことを
指しています。(菩薩:修行者)

 

そして、般若心経の中に出てくる「舎利子」という人は、釈迦の弟子
の中でも最高位のクラスの弟子になります。弟子とはいっても、舎利
子は釈迦と同じく悟りを開いた人で、仏と言えます。



つまり、般若心経は、修行者が仏に対して教えを説いているという形
式になっておるとです。ですので、題目の「仏説」はちょっとおかし
いということになります。また、修行者が仏に教えを説くという点も、
かなりおかしいということになります。



それから、漢語訳の般若心経の題目には「経」がついていますが、サ
ンスクリット語で書かれた題目には、「経」にあたる文字がありませ
ん。(経とは、仏が教えを説く、又はそれを記したもの)

 

 



うっ ちょっと時間が無くなってきましたが・・・ (;¬_¬)チラ
頑張って、もう一つだけ書いておきます。


簡単に般若心経について書けば、般若心経というものは、サンスク
リット語で書かれた「大般若経」を凝縮したものです。

 

びっくりされるかもしれませんが・・・
最も古いサンスクリット語で書かれた般若心経は、日本の法隆寺に
保管されています。(7~8世紀頃書かれたものです)

漢語訳の般若心経は、それより古いものが中国にありますけど、法
隆寺に保管されているサンスクリット語の般若心経よりも、古いサ
ンスクリット語の般若心経は発見されていません。



つまりですね、サンスクリット語で書かれた般若心経より、漢語訳
の般若心経のほうが古いということになります。




般若心経について上記に書いてきたことを含め、これがどういう意味
になるかというと・・・

漢語訳の般若心経もサンスクリット語の般若心経も、「偽経」の可能
性があるということになります。「偽経」とは偽りのお経ということ
です。



今のところ、般若心経については「偽経」が定説になりつつあるよう
です。しかし、「振動」の面からすれば、別のお話しになるというこ
とでしょうか・・・ (¯―¯٥)



あああぁ・・・ もぉ限界です。時間が無くなっちゃいましたぁ・・・。
次回、続きを書きますね。

以前、般若心経について書いていたブログを張り付けておきますの
で、時間がございましたら、ご覧になって下さい。

 

般若心経
ランプ音
般若心経の注意点

 

 

 

次回のブログは、般若心経の「偽経」について です。

 

 

 

 

過去のブログは、左メニューのブログをクリックすると、クリック
したその下にでてきます。
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コメント: 17
  • #1

    yorokobi (土曜日, 14 12月 2013 09:27)

    おはようございます。
    久しぶりのコメントです。
    以前、私は、ご先祖さまに、般若心経を唱えたのですが、ずっと仏説をつけていました。写経のときも、つけたことがあるように思います。
    この行いは、どのように影響するのでしょうか?

  • #2

    keizo-in1 (日曜日, 15 12月 2013 07:41)

    yorokobiさん コメントありがとうございます。

    「仏説」に関しては、ブログ「般若心経の注意点」に書
    いていますけど、ラップ音がする場合や霊感が強い人
    の場合です。

    「仏説」を付けて読まれ、又写経をなさって、ある程度
    の時間(数ヶ月~2・3年)が経っていれば、あまり関
    係ありません。もし、影響があるようでしたら、その影
    響はすぐに分かります。


    例えば、ラップ音がひどくなったり、若しくは不思議な
    出来事に遭遇したりと様々です(¯―¯٥)

    供養として般若心経を読まれるのでしたら、問題は無
    いと思いますよ。

  • #3

    yorokobi (日曜日, 15 12月 2013 18:39)

    そうでしたか。すみません。ありがとうございました。

  • #4

    心明聖 (水曜日, 18 12月 2013 01:33)

    こんばんは
    ブログを拝見していて、ふと、思いました。知り合いのお父様(キリスト教徒)が亡くなった時、葬儀は、お別れ会的な感じで全く悲しい感じでは、なかったそうです。その方は、死を自覚して、いらっしゃったので遺された言葉も心に響くものでした。キリスト教では、亡くなると神様の側へ行くと思うのですね。日本だと、仏様になるのに…どちらが正解って話しでは、ないのですが、お経は、外国の方には?って質問を拝見した時に確かにっと…まぁ、それを言うとお盆も然りでその国々で亡くなった方を敬う式たりがあるので切りがないのですが…勝手に思う気持ちは、同じっとして、気持ちで乗り越えれるっ信じていたのですが(笑)

    今回のお話しで、ちょっと、落ち着きました。

    お話しありがとうございました。

  • #5

    フィット (水曜日, 18 12月 2013 22:39)

    こんばんわ
    佳蔵院さんの博識にいつも感嘆しています。
    佳蔵院流の般若心経の翻訳(博多弁風)をリクエスト
    します(笑)

    般若心経が仏教大教典のエッセンスとしまして、
    それを、信じない方は、仏教は哲学だからねぇ、
    ということをおっしゃる方がいます。

    人間は誰しも救われたいと思っていますよね。
    救われるってどういうこと?

    興味深い記事を見つけました。
    (ブログ荒しではありませんよ)
    ”明治天皇の御遺言”です。難しい漢字使ってますけど、
    要するに、天皇といえども人間、
    やはり死ぬのは怖いはずなんです。
    ここで言うところの”妙法”って仏教のことなのでは
    ないでしょうか?
    今でも、この仏教における”救い”は存在している
    んでしょうかね?どう思われます?
    つまり、生きているうちに、何かをつかみなさい、
    ということなんでしょうけど、意味深ですよね。

    「明治天皇御遺言」
    「我が國に傅わる宗教に萬國に秀でたる妙法あり
    是れ最も至尊とす誰か比の教法を會得する者あらんや
    それは民族最高の得を得たものなり
    我國民として良くその目的を達せしものと稱すべし
    未だ比の教法に會わざるものは
    速にその徳を得よ
    人間として存命中に是れをなしおかざれば
    いつの世にいつの代になすべきや
    来世は危うかるべし・・・・・・・」

    この時代、新興宗教もなかったはずですし、
    この文章が本当ならば歴代の皇族方々も仏教思想を継いでいるのでしょうか、でも、皇族って神道じゃなかった
    でしたっけ?ちょっと、気になりました。

    佳蔵院さんまたご教示くださいませ。

  • #6

    佳蔵院 (木曜日, 19 12月 2013 21:47)

    心明聖さん コメントありがとうございます。

    イエスも仏も同じものですよ。違いはありません。ただ、
    神さんに対する考え方や人、国、時代等によって、神さ
    んのとらえ方や表現が違うということでしょうか(¯―¯٥)

    人が亡くなったあと、仏になるという表現はですね・・・
    如来等を仏様と呼ぶ場合とは違って、土着信仰、また
    先祖信仰等が習合され、亡くなった人を仏さんと呼ぶよ
    うになったみたいです。実際は亡くなった人=仏様では
    ありませんよ (・´∀`・)


    フィットさん コメントありがとうございます。

    般若心経の翻訳は、分かりませぇ~ん(;¬_¬)
    疑問に思う箇所が多いので、訳せないという感じで
    す・・・。

    仏教でいう救いとは・・・
    一言では表現できませんが、「悟る」というこではな
    いでしょうか。しがらみや悩み、問題等を悟ることで、
    繰り返し発生する好ましくない状態から抜け出る、ま
    た、その過程の中で現れる気付きや真理等に救わ
    れるということでしょうか。


    明治天皇陛下の御遺言は、公開されていないと思い
    ますが、よく見つけられましたね。

    そこに書かれている妙法とは、一念帰命のことでしょ
    うね。今でも、仏教における「救い」は存在しています。
    教法が仏教のことを指しているのではないでしょうか。

    生きる目的を成し遂げ、また仏の教えを得る大切さを陛
    下は仰られたと思います。

    仏教思想を皇族の方々がお持ちになられたとしても、
    不思議なことではありませんよ。現に日本には仏教も
    あるわけですから。

    陛下も皇族の方々も、宗教の対立や思想、儀式等
    の違いは問題にされていないわけです。神道に無
    い良い面が、仏教にもあるということを・・・

    陛下はお亡くなりになる前に、お気付きになられた
    ということでしょう。神道だから、また仏教だからと
    いう信条だけで、他の宗教の良い面を知らずに生
    きていたら、いけませんよということではないでしょ
    うか。

    宗教は違っても、神(仏)さんに対する思いや尊さに
    違いはないはずです。


    天皇陛下という立場で、他の宗教に対するそのよう
    なお気持ちを表されたこと・・・

    私は陛下の偉大さに感銘します(¯―¯٥)

  • #7

    フィット (木曜日, 19 12月 2013 23:16)

    佳蔵院さま

    ご丁寧なコメント、ありがとうございます。

    >しがらみや悩み、問題等を悟ることで、
    >繰り返し発生する好ましくない状態から抜け出る、ま
    >た、その過程の中で現れる気付きや真理等に救わ
    >れるということでしょうか。
    →の部分、確かに と思いました。
    人間として精一杯生きて、数々の苦を経験したからこそ得られるものなのですね。

    自己啓発の本たまに読むんですが、安岡正篤氏、中村天風氏など、宗教指導家でなくても、何かを極めた哲人の言葉には一貫とした思想を感じます。
    凡人の私とは天地の開きがありますが、”不断の努力”
    を続ければいつかきっと見えてくるものがあると信じて実行しなければと思います。
    言うは易し、行うは難し、本当にその通りです。
    瞑想も祝詞も頑張ります!


  • #8

    佳蔵院 (土曜日, 21 12月 2013)

    フィットさん コメントありがとうございます。

    「苦」と感じるものをどのようにして「楽」に変えていく
    か・・・ それが、私達の成長につながるかもしれ
    ませんね(¯―¯٥)

    苦しく思うことを楽しく感じられるように、思考や目標、
    又言動を変えていくなかに、成長があるかもしれま
    せん。

    「生きる」ことが楽しくなれば、最高ですよね。楽しく
    なるための工夫をやっていきましょ(*´∀`*)

  • #9

    berry (土曜日, 21 12月 2013 15:14)

    佳蔵院さま

    はじめまして。メルマガを購読させて頂いておりますberry と申します。

    瞑想についての質問ですが、こちらでよろしいでしょうか。

    もし場違いでしたら申し訳ありません。
    瞑想を始めてしばらく経ちますが、手先のピリピリ感はだいぶ感じられるようになりました。
    しかし途中で眠ってしまうことが多く、なかなか先に進むことができません。
    現在、お布団に入って瞑想を行っていますが、それがよくないのでしょうか?





  • #10

    佳蔵院 (日曜日, 22 12月 2013 08:46)

    berryさん コメントありがとうございます。

    瞑想やメルマガ等に関するご質問は、こちら(ブログ
    のコメント欄)にお願いします。

    瞑想を始めた頃は、いつの間にか眠ってしまうことが
    多いです。これは、仕方ないかもしれません。
    佳蔵院は、メルマガにも書いていましたが、「寝禅」を
    勧めています。それは、「寝禅」が一番リラックスでき
    るからです。

    佳蔵院も最初は、寝る前のお布団の中で瞑想を行っ
    ていました。毎日しっかり腹式呼吸を行っていると、眠
    ってしまったとしても、睡眠中に意識が覚醒します。

    その状態が、ある意味、深い瞑想状態と思って下さ
    いね(¯―¯٥)

    瞑想は、まずは「リラックス」できることがポイントです。
    眠ってしまうということは、ちゃんとリラックスができてい
    る証拠です。

    お休みの日、たまには日中に横になって瞑想をなさっ
    てみて下さい。また、毎晩毎晩眠ってしまうようでした
    ら、低い音量の目覚ましを40~60分後にセットしてか
    ら、瞑想をなさってみて下さい。

    目覚ましで起きたあと、軽い腹式呼吸をされながら、メ
    ルマガに書いている作業等をされると宜しいですよ。

    瞑想を始めた頃は、限界まで腹式呼吸をなさったほう
    が宜しいかもしれませんヾ(^ω^*)

  • #11

    フィット (日曜日, 22 12月 2013 09:34)

    こちらの掲示板をお借りして失礼します。

    メルマガ始めて2カ月経ちました。
    12/24付で、メルマガ継続(Vol.12以降のメルマガ)で1,000円を振り込みさせていただきました。
    最終稿まで希望の場合でも、
    2カ月上限分とした方がよろしいのでしょうか?

    瞑想の質問ですが、耳栓は使わない方がいいですよね?
    なるべく静かな場所でやっていますが、何となく集中
    できる感じがしますので、お伺いした次第です。

    よろしくお願いいたします。

  • #12

    berry (日曜日, 22 12月 2013 14:22)

    佳蔵院さま

    お返事ありがとうございました。

    今までは限界までは腹式呼吸をしておらず、だいたいこのくらいかな?という感じで終えていました。

    その中で数回に一度は、いま瞑想状態に入れたかも?と上手く言葉に出来ませんが何か衝撃を感じる時がありました。

    メルマガを購入させて頂いてから数ヶ月経ってしまいましたが、今回こそ本気で取り組みます。自分の人生を生きるために(^_^)

    ありがとうございました。

  • #13

    佳蔵院 (月曜日, 23 12月 2013 07:49)

    フィットさん コメントありがとうございます。

    お振込みありがとうございます。最終稿までをご希望
    でしたら、2ヶ月の上限をお考えになられなくても宜し
    いですよ。

    耳栓は利用されても構いません。瞑想が深くなってき
    ましたら、その必要性もなくなります。瞑想をやってい
    ましたら、少しずつ上達していきますからね('v')



    berryさん コメントありがとうございます。

    まずは、腹式呼吸の限界に慣れましょうね。限界に慣
    れていきますと、当然のようにそれまでと違った世界
    や衝撃を経験されることでしょう。

    腹式呼吸は基本的な作業になります。実際は、腹式
    呼吸の後の作業が重要になりますからね(¯―¯٥)

  • #14

    shimohaha (火曜日, 24 12月 2013 00:25)

     こんばんは。 前回に、続いて今回も奥深い内容ですね。
    ここ数日、ブログの中を眺めながらコメントを書きかけては消しの繰り返しですたい。
    フイットさんは、すごかぁ~ですね。驚きました! 
    んでもって、毎回つたないコメントばっかで、書けごとなって。。
    すんまっせん。

    自分に合わせて都合よく人生に甘んじて、なぁ~も考えとらでよう今まで生きてきたなと。。
    ほんと、学習しとらんですばい。

    多くのコメントされるたびに、私も色々と勉強になっちょります。
    まだまだ、多くの方のご意見も伺いたかです。

    追伸:
    伊勢より帰省した息子も間もなく御奉仕実習に入ります。長女も何の因果か?近所の神社で巫女としてお正月に御奉仕をさせていただくことになりました。
    これも、御導きでしょうかね?良いご縁を頂いたと痛感しております。

  • #15

    keizo-in1 (火曜日, 24 12月 2013 19:28)

    shimohahaさん コメントありがとうございます。

    いろんな方の考えや思いを聞いたり見たりすることっ
    て大事ですよね。自分のだけの思考では、どうしても、
    偏ってしまうときがありますもん(¯―¯٥)

    佳蔵院も、いろんな方のコメントを読ませて頂いたり、
    お話しをお伺いしたりして、勉強させてもらってます。


    お子さん達、頑張っていらっしゃるようですね。
    しかし、お正月はお忙しそうですね(;¬_¬)

  • #16

    通行人 (土曜日, 20 9月 2014 17:39)

    「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)または「観自在菩薩」(かんじざいぼさつ)ともいう。「救世菩薩」(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。

  • #17

    佳蔵院 (日曜日, 21 9月 2014 07:33)

    通行人さん コメントありがとうございます。

    観自在菩薩の呼び名は色々ありますが・・・
    「菩薩」というものは、そもそも「修行者」を意味して
    います。その修行者が、後々に神仏化され信仰さ
    れるようになりました。

クリックで救える命がある。

 

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