般若心経の内容や効果

あけまして、おめでとうございます。
今年一年、皆様のご多幸を心よりお祈りします。

新年が始まって、まだまだ落ち着かないところもありますが・・
新しい年にたくさんの期待を込めて、頑張っていきましょうね。

さてさて、年末(般若心経の「偽経」について)の続きを書いて
いきます。今年もブログ頑張るぞぉおおおw おおおおw(¯―¯٥)

 


年末、般若心経の偽経について書いていましたけど・・・
般若心経の内容についても、ちょっと書いておきます。


般若心経の出だしについて、他のお経の形式とは違う点を書きまし
た。「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時~」この書き出しは、他のお
経の書き出しと違い、また菩薩が仏(悟りを開いた人)へ説いてい
るということも、かなり変に思うとです。

 

菩薩(修行者)が仏(般若心経の登場人物で、舎利子のこと)に説く
ということは、かなり変な形式となっています。舎利子を仏とみなさ
ず、修行者と見たとしても、菩薩が菩薩に説くという形式はやっぱり
変な形式になってしまいます。



「観自在菩薩」のことを神様的な観世音菩薩等の意味と訳している人
も多いですが・・・

菩薩とは、もともと修行者のことを指しています。当時の中国からイ
ンド等の修行者を見たとき、菩薩と表現していたようです。修行僧が
いずれ庶民を救い出してくれる等のような思いが、後々の菩薩への信
仰へとつながり、今では神的存在にとられています。



お経とは、そもそも悟りを開いた人(釈迦等)の教えを書き記してい
るわけですから、実在した人が登場してくるわけです。


ですので、「観自在菩薩」も実在した人物と考えるべきなんですが、
どちらかと言えば、「観自在菩薩」を神様的な意味として観世音菩薩
等と訳しているようです。



このようなおかしな点に加え、有名な「色不異空 空不異色 色即是
空 空即是色」についても、なんかしっくりこんとよ。

「色」とは物質のことを指すんですけど、その物質と「空」を対比さ
せています。



う~ん・・・ よー分からんです(;¬_¬)


対比させるならば、「空」という文字を使うんじゃなくて、「精神」
のような意味合いの文字を使うべきだと思うとです。


また、「空」を無い等のような意味でとらえるんだったら、「有」と
対比させないといけんし、真空のような意味合いであれば、「充満」
のような文字と対比させんといかんと思うとです。

 

なんか、かみ合わんとです。



それから、般若心経の最後に書いてある、「羯諦羯諦 波羅羯諦 波
羅僧羯諦 菩提薩婆訶の部分。これもおかしいよね。


この部分は、サンスクリット語の発音を漢字に当てはめています。漢
訳できなかったということでしょうけど、呪文的な要素が強いようで
す。

 

ちなみに、釈迦は呪文のようなことを否定、また禁止しています。原

始仏教からすると、般若心経はかなり変わったお経のようです。




まぁまぁ、佳蔵院がごちゃごちゃ言ったところで・・・
クレーマーみたいなもんと変わらんけん、あんまし深くは突っ込みま
せんが。 (*´~`*)

 



しかし、般若心経の書き方や内容がどうであれ、お経として長い間多
くの人に読まれてきました。釈迦が入滅したのが紀元前5・6C頃で、
その500年後ぐらいから仏教ブームが起こり、世界で般若心経は読
まれてきました。

 



般若心経の書き方や内容がどうであれ、長い間世界で大勢の人に
読まれてきたことのほうが、般若心経の意味があるとです。



今こうしていても日本のどこかで、また世界で般若心経が読まれて
います。中身が分からなくても、ずっと唱えられています。

 

 

 


ふふふ・・・ ここがポイントですたい('v')ニヤリ・・ 

偽経と言われているとしてもぉ~ してもぉ~

般若心経の音から流れる振動は、世界を駆け巡っているわけです。

 

 

 

昨年、シンクロニシティから振動についても書いてきていますけど、
般若心経の音から流れる振動が四六時中世界を流れているとですよ。

物質世界と霊的世界は表裏の関係とも書いています。



もちろん、般若心経の音から流れる振動も、霊的世界において流れ
ています。

 

 

みなさんは、ご存知でしょうか?

特に毎月8日、18日、28日は、朝から大勢の方々が祈願寺(真言
宗等)に集まり、般若心経が唱えられています。自宅等でも、大勢の
方々が般若心経を唱えています。


人それぞれ思いは違うかもしれませんが、良い方向へ進めるよう、そ
んな思いを込めて、また供養として唱えています。



そんな思いが一丸となって、一つのものを何回も何回も・・・
また千数百年の途方もない年月をかけて、般若心経は世界で唱えら
れてきました。


これが、どのような効果をもたらすのか・・・



なんとなく想像できるでしょ?(¯―¯٥)


お経の意味が分からなくても、内容がどうであれ、お経を信じて何
回も何回も長い間唱えられてきたわけです。一人一人が思いを込め
て唱えてきたとですよ。



そんな般若心経の効果の一つとして、以前のブログで書いています
が・・・

 


より良い方向へ行くために、また供養や霊、邪気等を祓うような効果
があります。





耳なし芳一のお話しを憶えていますかぁ?ずぅ~っと小さい頃、絵本
なんかで読んだ記憶があるでしょう。

盲目の琵琶法師である芳一の全身に般若心経を書き、怨霊から身を守
ろうとしたところ・・・

耳に般若心経が書き忘れられていたため、芳一の耳は怨霊にもぎ取ら
れてしまいました。



こんなお話しがありますけど、般若心経を供養以外の目的で使うとし
たら、やっぱりちょ~っと気を付けなければいけません(¯―¯٥)

 

 

 

 

般若心経について書いてきましたが、とりあえず今回で終わりにしま

すね。般若心経そのものは、疑問が多いお経となっておりますけど、
千数百年の間ず~っと思いを込めて唱えられてきたこのお経は、言霊
的な霊的力、振動がいつもいつも力強く流れています。

 




次回のブログは、祝詞を唱えるとき です。




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コメント: 23
  • #1

    shimohaha (日曜日, 12 1月 2014 14:46)

    お久しぶりです(*´ω`*)
    ブログが、更新されんと佳蔵院さん
    どけしたちゃろ?とゆきさんと心配しとりましたと。
    忙しかったとやね。ご無理せんごとしてつかぁさい(*´ー`*)
    なるほど。。菩薩って、そんな意味が?浄土宗関連のお経で、阿弥陀経は葬儀や法要でよく聞くんですけど沢山16やったかな?の菩薩の名前が出てきます。阿弥陀様の御使いかと。。阿弥陀経は極楽浄土のを表しとるんかな?と思ってましたσ(^_^;)?お正月早々、また昨年同様に悲しい出来事があり、新たな1年の出だしを挫き精神的にも参ってか不眠、精神不安定等々。。また、鑑定をお願いしようかと思っとりますた。
    般若心経に、そげん力があるとは。。
    覚えてて良かったですばい。



  • #2

    佳蔵院 (月曜日, 13 1月 2014 07:49)

    shimohahaさん コメントありがとうございます。

    あぁ~ ごめんなさい。年始から何かと忙しくて、ブログ
    の更新が滞っておりましたぁ(;¬_¬)
    ゆきさん 元気にしておりますからねぇ~

    実を言えば・・・
    現存するお経の中で、阿弥陀経はお釈迦様が説かれ
    た唯一?のお経かもしれません。その他のお経は、も
    しかすると、伝えられていくなかで、また訳者等の主観
    によって、内容が多少変わっているかもしれません。


    お正月に悲しい出来事がおありだったとのこと・・・
    元気を出して下さいね。年を重ねるにつれ、悲しい出来
    事も多くなっていきます。悲しい出来事をどのようにと
    らえていくか、そろそろ私達も自分なりのとらえ方を見
    つけていかなければいけませんね。

  • #3

    吉田 (月曜日, 13 1月 2014 16:28)

    佳蔵院さん、吉田と申します、今年も宜しくお願いします。

    私、腹式呼吸を座って行っているのですが、大丈夫でしょうか?
    夜、寝る前に横になってすると、腹式呼吸の段階で寝てしまいます‥(*´-`)
    なので、あぐらの状態で腹式呼吸を行ってます。

    それに、あお向けで横になる姿勢より座った方がよりお腹を膨らませる~凹ませられる様に思うので、何より寝落ち防止のためなんですが。

    あ、そうそう(´∇`)!
    白い点は発見出来ませんが、この前、腹式呼吸~脱力中に映像というか印象がよぎりました(・∀・)。
    夜の教会に居る様な視界になって、教会の天井がぬけていて、夜空からダイヤモンドのネックレスがゆっくり落ちてくるんです。
    その印象がよぎった後に身体が熱くなりました。

    ‥これは、このダイヤモンドは佳蔵院さんのお智恵(メルマガ)を象徴してるんじゃないでしょうか!!(´∇`)
    今後とも宜しくお願い致します~(~▽~@)

  • #4

    フィット (月曜日, 13 1月 2014 17:05)

    佳蔵院さん、私もブログアップ心配していました。
    お忙しいことと思います。
    新しいこと始められたのでしょうか?ご苦労様です。

    般若心経は、その中身というよりも、大勢の人が唱える
    振動そのものにパワーがあるんですね。
    般若心経については佳蔵院さんも
    「???」という部分があるんでしょうか、
    何となくですけど、文面から雰囲気が伝わってきます。
    それぞれの良さがあるんでしょうけども、やはり、
    祝詞の方がいいのかな?

    このサイトを見ている方は、何らかの悩みがあって
    佳蔵院さんに助けてもらっているんですね。

    shimohahaさんのコメントにもありましたけど、
    精神的な問題は、自分一人で乗り越えるのに
    中々つらいものがありますよね。

    私も
    年始早々の1週間は、心身ともに疲れて疲れて、
    毎夜の瞑想も10カウントで寝てしまいました。
    人間関係の気遣い、仕事のプレッシャー・・疲れますっ。
    佳蔵院さんの直声に助けられた年末年始を
    思いだしながら頑張らないとと思いつつも、明日からの
    仕事に鬱々しております。これがきつい。
    このサイトが処方箋なのです。

    変わったことといえば、
    ここ1週間で、「自分が連絡をしなければならない相手」が向こうから訪ねてきたり、電話の相手に出る前から、何となく「あの人かな?」とビンゴすることが数件ありました。年始の挨拶やんけ!と言われればその通り。
    偶然といえば偶然なんですけどね、どうも、思いこみが強い自分は、結びつけてしまいました。(→反省・・・)
    瞑想初期でもこんなこともあるんですかね?

    今朝は、瞼の裏に緑色のアメーバが、もやもやと
    動いていました。よくわからない映像で、いつも
    右目に多いのです。
    進歩しているのかどうかわからない状態ですが、
    とりあえず、続いています。
    毎日トライすること事態がここ数年無かったから、
    飽き性の自分にしては珍しい限り、最初の気負いも
    なく、今では日課の一部です。
    何ら変化がなくても、こんなものかなぁという感じです。
    難しく考えることから解放されました。

    自分は寝禅でやっています。(臥禅も同じですか?)
    最近、敷布団の中に吸い込まれるイメージでやっていたら
    リラックス感が進んでいるようです。

  • #5

    ゆき (月曜日, 13 1月 2014 22:40)

    年明け早々お忙しいのですね。ブログ更新楽しみにしている方々が大勢いらっしゃるんですよ〜(*^^*)

    フィットさんのブログから受けての続きになるんですが、
    般若心経と祝詞の使い分けってありますか?
    佳蔵院さんのページを知る迄は、いつも悩みや不安を消し去るのに般若心経を唱えてました。今は禊祓祝詞です。神社参りも日課になってますし、神社では祝詞かと。
    家やその折々でこの時は般若心経、この時は祝詞とかがあるのであれば、お教え頂きたいです。

    般若心経の威力というか、効力というか、パワーというか、実際に般若心経で、自分の心が救われた時期がありました。
    振動………なんですよね。
    毎日唱えてたくせに覚えれてない(^^;;
    今年は、般若心経を完璧に覚えてみますか…(≧∇≦)

  • #6

    佳蔵院 (火曜日, 14 1月 2014 09:43)

    吉田さん フィットさん ゆきさん
    コメントありがとうございます。

    吉田さん
    瞑想を頑張っていらっしゃるようですね(¯―¯٥)
    横になって瞑想をするか、胡坐でするかは難しいところ
    なんですが・・・

    やはり最初は、眠ってしまっても宜しいので、横になっ
    て練習をなさったほうが、後々は宜しいかと思います。

    眠ってしまっても構いません。腹式呼吸を「限界」までな
    さっていましたら、すぐには眠れないものです。しっかり
    限界までなさっていましたら、例え眠ってしまっても、睡
    眠中に意識だけが覚醒することもありますので、まずは
    体や心のリラックスができるようになって下さいね。

    たまには、胡坐で瞑想をなさっても宜しいですし、日中
    に目覚まし時計等を利用してなさると宜しいです。

    それから、白い点はあまり気になされず、次へ意識を向
    けられたほうが宜しいですからね。人によって、白い点
    より先に写真のような映像が見えてくる人もいます。

    白い点を見えることが目的ではありませんからね。楽し
    んで練習なさって下さい('v')



    フィットさん
    ご心配おかけいたしました・・・・ (;¬_¬)

    般若心経が伝わる過程や内容等には、正直に言います
    と疑問があります。けれど、その効果としては驚くものが
    あります。

    どちらかといえば、般若心経より祝詞のほうをお勧めしま
    す。理由を書けば、このコメント欄では少し無理がありま
    すので、近いうちにブログでご紹介するようにしますね。

    瞑想をやっていますと、知らない間に「振動」を選別する
    ようになったりして、直観的な鋭さが増します。ですので、
    その振動の波に乗れているときは、かけてきた電話の
    相手が事前に分かったりします(¯―¯٥)

    ただ、直観を「意識」したり、頼ってしまうと・・・
    振動と同調できなくなりますので、外れることも多いでし
    ょう。この点は、メルマガに書いていますように、白い点
    を見ようとすると見えなくなる理屈と同じような感じです。



    ゆきさん
    般若心経と祝詞の使い分けについては・・・
    やっぱりこのコメント欄で書くには無理がありますので、
    ブログでご紹介するようにしますね。

    最近、ご質問等がたまってきていますので、近いうちに
    書くようにします(¯―¯٥)

    上にも書いていますが、私は祝詞をお勧めします。般若
    心経には、ちょっと癖と言いますか、難しいところがあり
    ます。供養として読む分は全く問題ありませんが、精神
    的な処理の仕方を知らず、供養以外の目的でお経のご
    利益を求めると、心のリズムが狂ってしまうかもしれませ
    ん。

    ちなみに、佳蔵院は般若心経が身に付くまで・・・
    1~2年は最低かかったと思います。

  • #7

    まっくす (月曜日, 20 1月 2014 19:06)

    初めまして、昨日初めてこちらのHPに辿り着いた者です。

    最近世の中全てが上手く行きすぎ…というか、もはや誰かが事前にそうなるように、
    事前に誰かが準備してくれているのかと思うほどの巡り合わせの連続で。
    それは今も現在進行中で、このままでいいのか怖くなっていたんです。

    そんな中、オーラについていろいろ調べているうちにこちらに辿り着きました。
    これも必ず何かのご縁というか、導かれてのものなのでしょうね…。

    そして早速気になっていた「瞑想と幸運」という記事をまず読んでみました。
    そこに書かれていた「毎日が幸運だと思える状況を作り出すことは可能」という赤文字と、
    「幸運を運ぶエネルギー体が、あなたの魂を包むように何重にも覆いかぶさっていきます。
    こうなれば・・・あなたの知らないところで、いろんなお膳立てがなされるようになります。
    何もかもがうまくいくようになり、あなたは怖くさえ思うようになります。」
    と書かれていて、読んだ瞬間全身に電気が走りました…。

    そして感謝感謝ばかり…と。
    そうなんです、最近巡り合わせの良さに出会う度、心の中で感謝感謝って思っていました。

    でも同じような道を歩み、私のような状況を無事通過されて先を歩まれているお方に初めてお会いし、
    一気に不安や怖さは霧が晴れるかのように消えていきました。
    一度神様に好かれるような行動を取るようになった人は、皆通るべき道なのかな…と思いつつも、
    果たしてこのまま進んでもいいものなのか、私みたいな凡人がそんなステージに行ってしまっていいものなのか?
    ずっと最近はそんな事を考えておりました。
    このままだと私の精神が先に崩壊したりはしないのだろうか?
    もしくは強い力を過信して、織田信長のように狂気に走ったりはしないのだろうか?…と。

    それと同時に、これは神様が与えし試練なのかな…とも思っておりました。
    この恵まれた状態になっても、調子に乗らず世のため人のために全力を尽くすことが出来るのか?
    そして平常心を維持しつつ、今の現状を素直に受け入れられるのかどうか?…と。

    古くは役行者様や弘法大師様も通った道なのかもしれないな…と思いつつ、
    更なる先のステージへ行くには、もう吹っ切るしかないのかな…と思っておりました。

    結論から言うと、このまま更に人のために全力を持って望む姿勢でいいのでしょうか?
    この先のステージが全く見えないので少し怖い気持ちも残っているのですが、
    今を越えた先人達がいらっしゃる以上、進むべきなのかな…と思っています。

    なのでお時間のある時にでも、これからどう行動すべきなのかをご教授願えたら…と思っております。
    出来れば直接佐賀まで行きたいぐらいなのですが、行ってもそんなにお時間頂くのも…などとも思ったりして、
    まずはブログのコメント欄へ…と思い、書き込んでみました。

    長くなりましたので、私の自己紹介などは次のコメントへ続けます。

  • #8

    まっくす (月曜日, 20 1月 2014 19:45)

    まず自己紹介から致します。

    生年月日は昭和45年11月24日、43歳、戌年です。

    子供の頃から少し自分でも変わってるな…と思っていましたが、
    小学生の時に手の平にひらがなの「て」があるのを友達に見せたところ驚かれまして。
    いわゆる「ますかけ線」が両手に入った状態で生を受けました。
    今を思うと何かをするように言われていたのかもしれません。
    誕生から43年もかかっているのがお恥ずかしい限りではありますが…。

    昔から古い建物などが好きで、その流れでお寺や神社を巡るのを趣味としておりました。
    そして10年以上前に西国三十三箇所巡りを結願。
    その後次は四国かな…と、数年前に巡礼セットをネットで調べていて、
    その翌年に東日本大震災が発生。
    何も出来ない自分ですが、せめてもの活動として海に沈んでしまったご遺体の魂の鎮魂を願って、
    巡礼セットを一揃え揃えて、近畿三十六不動尊巡りを1年で結願。
    家から帰宅まで巡礼姿で三十六箇寺を巡りました。

    どうもその事が引き金になったようで…結願する前から不思議なご縁や巡り合わせが続くようになり、
    現在ではもうどう考えてもおかしいような、都合のいい事ばかり起こるようになりました。
    自分では大した事をしたとは全く思っていないのですが…。

    ・落とし物や忘れ物をここ数年した覚えがない。
    ・ホームに着くと列車がやってくるのが頻発。
    ・遅延や乗り遅れなどに全く遭遇しない。
    ・強く願うと絶対晴れる。(雨でも目的地に着くと同時に止む、用事が終わると降り出す)などなど。

    最近ずっと見ていなかった手相を自分で見てみると、ハッキリと覇王線が入っていて驚きました…。
    近畿三十六不動尊巡りをする前には覇王線を形成する3本はそれと分からない状態だったのは確かです。
    今では心の中に不動明王様がいらっしゃるのを自覚しているのですが、
    その時から覇王線が出ていたのかも…と思っています。

    そして巡礼中に、この世界(人間界?)とは別に、
    もう1つ同時進行形で別ベクトルに違う世界があるのでは…と考えるようになりました。
    どちらが表でどちらが裏か分かりませんが、そのもう1つの世界にいわゆる神様達がいらっしゃるのかな…と。
    そしてその世界からはこちらが丸見えで、こちらからは見えない。
    その世界にいらっしゃる神様達が我々を見守ってくれているのかな…と。
    そしてその世界とこちらの世界を結ぶべき場所が神社やお寺の境内の一部なのかな…と。
    伏見稲荷の稲荷山の山頂、三輪山の山頂などは結ぶべき場所を通り越し、常時別の世界なのかな…と。
    更にその世界では恐らくとんでもなく刻の流れがゆっくりなのかな…と。

    そう考えると、辻褄が合うことが多いというか、
    もはやそう考えないと自分がおかしくなりそうで。
    竜宮城や高野山・奥の院などはそう考えると不思議な事でもなんでもないかな…とも思っています。

    もうここまで来たら、この道を極めたい気持ちが断然強くなっています。
    そしてそれを世のため人のために少しでも使いたい、神様達のお手伝いを少しでもしたい、
    そんな気持ちで今はいっぱいです。もう自分の名前も金銭欲などもどうでもよくなってきてしまいました。

    とまぁ、今はこんな状況です。
    果たしてこれが今どんな境地なのか、ステージなのか自分では全く分かりません。
    とりあえず今はもっと自分の器を大きくして、受け入れる体勢つくりは続けようかと思っているところです。
    今月中に稲荷山、来月に伊勢、その先に出雲へ再訪というのを考えています。

    さしあたって、もし宜しければここから気をつけないといけない事や、
    アドバイスなどがあれば、お時間のある時にでもお願い出来れば…と思います。
    本当にお暇な時で結構ですので、宜しくお願い致します。

  • #9

    佳蔵院 (火曜日, 21 1月 2014 19:45)

    まっくすさん コメントありがとうございます。

    怖くなるほど物事が上手くいってしまうことって、あり
    ますよねぇ・・・。

    やりたいことや目標等を達成したあと、又例え悪い出
    来事でも、その中で得た気付き等を素直に受け入れ、
    気付きにそって言動を変えていくと・・・

    怖くなるほどの良い流れに乗っちゃうことがあります。


    良い流れに甘んじていると、数ヶ月で元の状態に戻っ
    てしまいますので、新たな目標を定めたりして、チャレ
    ンジしていったほうが良いように思えます(¯―¯٥)

  • #10

    吉田 (水曜日, 22 1月 2014 00:37)

    こんにちは、佳蔵院さん。
    質問なんですが、手のひらのピリピリって、いわゆる「気」なんですか?
    それとも別のモノなんでしょうか?

  • #11

    佳蔵院 (水曜日, 22 1月 2014 19:54)

    吉田さん コメントありがとうございます

    手の平(指先)のピリピリや額のムズムズ等は血流が
    盛んになっていると思って下さい。また、手の平(指先)
    から、「気」のようなものも出ています。

    左右の手の平を数センチ離して、左右の手の平を感じ
    てみて下さい。「気」のようなものが出ているときは、左
    右の指先や手の平が「気」のようなものに感応して、更
    にピリピリしたり、じ~んとしてきます(¯―¯٥)

    メルマガにそって瞑想の練習をされていくと、手の平等
    がピリピリしてきますけど・・・

    少し瞑想が上達していけば、意識するだけで、手の平
    等をピリピリさせることもできるようになります(・´∀`・)

  • #12

    吉田 (日曜日, 26 1月 2014 22:44)

    佳蔵院さん
    今日、腹式呼吸はあまりしなくて脱力をしっかり行ってましたら、一瞬白い点が見えました!
    あっ(°Д°)?!っと認識する間に消えてしまいました。
    その後、ある問いを繰り返したのですが、明確な応えは無く眠ってしまいました。
    何か見ていて、認識した瞬間に消えてしまう、

  • #13

    muo (日曜日, 26 1月 2014 22:50)

    すいません、ミスして途中で送信してしまいました。
    何か見ていて、見てる事に気付いた瞬間に消えてしまう、維持するコツはあるんでしょうか?

  • #14

    吉田 (日曜日, 26 1月 2014 22:53)

    すいません‥↑名前muoは吉田です。
    間違えました。

  • #15

    佳蔵院 (月曜日, 27 1月 2014 18:30)

    吉田さん コメントありがとうございます。

    メルマガVol.8・9をもう一度ご覧ください。白い点に意
    識を向けると、すぅ~っと消えてしまいます。また、最初
    の頃は短期間で白い点の見える時間が長くなることは
    ありません。

    「意識」と「無意識」の違いを改めてメルマガでご確認下
    さいいね(¯―¯٥)

    焦らずとも、メルマガにそって瞑想を続けていれば、毎
    回のように白い点が確認できるようになります。白い点
    は通過点にすぎません。焦らず瞑想を行って下さい。

  • #16

    まっくす (木曜日, 30 1月 2014 07:54)

    返信本当にありがとうございました。
    なかなかどういうアドバイスが頂けるか少し怖くて、
    ここを覗くことが出来なくて、感謝の気持ちをお伝えするのが遅くなり申し訳ありませんでした。

    最近はこのままだとどうなるんだろう…という不安はかなり消えました。
    先日も伏見稲荷と稲荷山へ行き、そこでも非常に素晴らしい出会いをさせて頂き、感謝感謝の毎日です。

    神様の存在を本気で信じるだけで、こんなにも毎日が楽しくなるんですね。
    でもこれは調子に乗るな!という訓示?と常に思って思考・行動しないと…と思います。

  • #17

    佳蔵院 (木曜日, 30 1月 2014 19:26)

    まっくすさん コメントありがとうございます。

    不安がかなり解消されたとのこと。良かったですね。
    ちょっとしたきっかけで、神さんの気付き等が起こり、
    心も楽になっていきますよね(¯―¯٥)

    よいご経験をなされたようです。

    神仏に頼る姿勢より、まっくすさんのようなお気持ちで
    行動なさってたら、更に神仏等の気付きが起こります。
    感謝と共に、前にお進みくださいね(・´∀`・)

  • #18

    (土曜日, 15 3月 2014 23:51)

    初めまして、清と言います。
    自己紹介もせず申し訳ないのですが、【色】の解釈なのですが、【色】はこの世の森羅万象すべてのことだと思われるのですが、どうでしょうか?
    それには『物質』や『精神』の別なく、実体があろうが、実態がなにであろうが、運行しているモノ総てが【色】であるように思います。
    対した【空】なのですが、これは物理でいう『エネルギー』が近い気がします。
    言葉で括れば『エネルギー』は簡単に抽出出来ますが、しかし現実世界において、『エネルギー』だけ抜き取ることは出来ません。 そこには『音』や『光』『熱』などに変換されて初めて、人は知覚出来ます。 またなにがしかに影響されてないエネルギーだけを抜き取ることも出来ません。
    つまり、【色異不空~】は、
    【純然たるエネルギーと、そこから発生したモノ総て根底は一緒のモノだ。】
    【しかし発生しているモノから純然たるエネルギーだけを抽出することは出来ない。】
    【そしてまた、純然たるエネルギーだけでは、エネルギーそのモノを知覚することが出来ない。】
    【したがって、エネルギーを知覚するためには、エネルギーが形を変えたもので知覚するか、なにがしかに影響された状態のモノでしか知覚できない】
    【つまり、突き詰めれば、この世に『私』なんていうモノは存在しないけど、その『私』というものによって、この世を運行している巨大な『力』を認識することが出来る。】
    こんな感じの様なことかなぁ、と私は解釈しておりまする_(._.)_
    しかし、解釈は人それぞれですので他人がとやかく言うものではないのですが、ついつい筆が、、、(^^;
    不快にしてしまいましたら誠に申し訳ありません( ;∀;) 

  • #19

    佳蔵院 (日曜日, 16 3月 2014 07:43)

    清さん コメントありがとうございます。

    般若心経について、いろんな解釈があっても宜しい
    かと思いますよ。

    実をいえば、私は漢訳された般若心経の言葉の意
    味はあまり重要に思っていません。どちらかといえ
    ば、その内容や形式等について疑問をもっているほ
    うです。


    ただ、般若心経の意味を解釈されるのであれば、原
    文となるサンスクリット語、又はパーリ語等からシン
    プルに考えるべきだと個人的には思います。


    漢訳の「色」は、サンスクリット語ではルーパ(rUpa)
    にあたります。ルーパは簡単に言えば、「形、形態、
    外観」等を意味します。


    ちなみに、釈迦は自身の教えをサンスクリット語で
    記録されることを禁じています。サンスクリット語は
    学術的?な言葉で、庶民が一般に理解する言葉で
    はありません。


    釈迦の教えを庶民でも理解できるように、パーリ語
    のような言葉での記録を許しています。


    つまり、庶民でも釈迦の教えが理解できるように、
    又一方で、釈迦の教えが理解されにくい言葉で記
    録されれば、その教えを庶民が理解しようとした時、
    サンスクリット語を訳する人の主観や解釈によって、
    釈迦の教えが歪められることを危惧したのではない
    かと推測します。


    そして、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是
    色」についてですが、これは倒置法が使われ対比
    させています。強調と対比で表現されているのなら、
    言葉の意味としては、シンプルにとらえたほうがしっ
    くりいきます。


    釈迦の意図、又倒置法や対比を使った表現等を考え
    ると、言葉の意味や解釈を広げるべきではないと思っ
    ています。


    漢訳にされた般若心経について、本等も含めその
    解釈がいろいろとありますけど、サンスクリット語で
    記録されることを禁じた理由が、なんとなく分かる
    ような気がします。


    まぁ これも般若心経に対する私の一つの解釈です
    けどね・・・(¯―¯٥)

  • #20

    (日曜日, 16 3月 2014 22:34)

    コメントありがとうございます(^^)
    頂いたコメントを読んで分かったのですが、どうやら前提が別だったようです!

    私的にはサンスクリットで書かれたものも、漢文で書かれたものも等しく仏法から離れていないと思っていて、それならば多少のギャップはOKというスタンスだからです。

    確かに、釈迦の説いた仏教とは違いますが、その仏教自身が、仏教も変節していくと説いているので、多少の表現の違いは眼を瞑ります(笑)

    例にとれば、『その状態になる』、ということと、『その状態にする』、ということははっきり言えば別物ですが、誰が読んでも理解出来ないお釈迦様の教えなので、その程度の誤差は想定の範囲内ちゅーことで(´-ω-`)

    確かに最後は真言みたいになってて、なんでやねん?(・_・;?と思いましたが、まぁ大乗仏教だし、呪文とか入れとかないと当時の宗教戦争に負けちゃうし、大事なお釈迦様の教えを残すためにも、お釈迦様ゴメンなせー、と言ったかは分かりませんが、それでも仏法から離れてなければいいように思っています(^q^)

    そしてやはり前提は、【言葉や文字では伝わらない】ということではないでしょうか(^^;
    お釈迦様すらも最初、他人に伝えんの無理じゃね?と言って諦めているわけですし、いやいや、直接言ったって伝わらないのに、文字にするとか尚更無理ゲじゃね?と言って禁じてもいましたし、、、(;´∀`)


    もし、神に言語があればきっと記号、それと数字でしょう。
    文字では神の意思を伝えるには不完全過ぎると思います。
    仏法もまさにそれではないでしょうか。 しかしそこまで理解していながら、文字を使った仏教というものの凄さを感じます。

    まぁ、、、、あの、、、途中、神とか偉そうに言って、正に釈迦に説法ですみません(^^;
    ダラダラと書きましたが、何が言いたかったと言いますと、ブログ楽しく読ませてもらっていますし、瞑想ガンバりますッ!ということでした(笑) いろいろと失礼致しました(´Д`) そして、ありがとうございます_(._.)_

  • #21

    佳蔵院 (月曜日, 17 3月 2014 23:09)

    清さん コメントありがとうございます。

    視点が違えば、物事のとらえ方も変わってきます
    よね(¯―¯٥)

    しかし、お経等に限らず、哲学や学問も含め、抽象
    度が高いものはやはり原文から解釈するのが妥当
    だと思いますよ。

    サンスクリット語で書かれたものを漢訳し、またそれ
    を日本語で解釈するとなれば・・・ 
    作者の意図が大きくズレることもあります。


    それから、「仏教自身が、仏教も変節していくと説い
    ている 」といことに関してはあまり知りませんが、仏
    教自身というより、仏教に携わる人間が変えていっ
    ているということでしょうか。


    宗教は時代に合わせて変わっていくものだと思いま
    す。仏教に限らず、他の宗教でも変わっていることで
    しょう。

    しかしそれも、各宗教で説かれるそれぞれの「真理」
    等にあたる部分は、変わらないはずです。


    上座部仏教にしても、大乗仏教にしても、「真理」等
    にあたる部分は変わってないと思います。ただ、仏
    教という名が付いていたとしても、方向が違ったりし
    ていますので、釈迦の教えにも解釈のズレがあるか
    と思います。


    般若心経については、他のブログでも書いています
    けど・・・

    やはり偽経のように思っています。北伝仏教の中で、
    漢語又は他の言語による般若心経が出来上がり、そ
    れをサンスクリット語に書き換えて、昔から存在した
    かのように演出したのではないかと思えます。


    また、書き出しも「如是我聞 」では始まっていません
    ので、そもそも仏から聞いた話しではなく、仏法ととら
    えるべきかどうかは疑問です。


    当初、釈迦が得た悟り等を他者に伝えようとしなかっ
    たことと、サンスクリット語で記録することを禁じた意
    図は違うようです。

    このへんの事まで書くとなれば、文字数も多くなりま
    すので、止めておきますが・・・


    仏教の歴史や人の思考の変遷は面白いですよね。
    私は、仏教の中身がどうであれ、また他の宗教がど
    うであれ、人がより良く生きていければ、それがその
    時の正しい宗教だと思っています(*´∇`)

  • #22

    (火曜日, 18 3月 2014 22:39)

    コメント読みました。
    確かに原文も読んだ方がいいというのは、全くの同感です。
    これは外国の映画や小説を理解するときも一緒ですしね。

    吹き替えや、和訳だけではだめで、原文ままの、現地の言葉を、文法だけではなく、口語や、流れを理解し、当時の時代背景も頭にいれて、キャラクターの性格、状況も考慮しないと、監督や作者の意図するものと別のものに解釈してしまいますし(^^;

    ただ、思うのは、意図するものの解釈が同じになるならば、訳は違っていてもいいとも思っています。
    まぁ、それだったら別の作品じゃねーか、と思われても仕方ないですが(;´∀`)

    しかし、それは仏教では問題ないと思っていて、理解されるべきものが、本当に理解されるのであれば、それはなんでもいい。

    仮に、仏教以外で釈迦の意図を完全に理解する術があるのであれば、それは仏教ではありだと思っています。

    大事なのは言葉ではなく、法がなにかを理解することだと思います。 だから、法が理解出来ればOK。

    、、、話がずれてますね(;´_ゝ`)

    別に仏教について話していた訳ではありませんでしたね(^^;失礼致しました(;´∀`)

    個人的な話になりますが、漢訳の般若心経が仏教を理解するのにとても解りやすく、その意味で、私的に漢訳の般若心経は『本物』だと言えます。

    まぁ、それは置いといて、確かに人がより良く生きていけれるならば、何教でも問題ないですね(^^) ガンジーも似たようなこと言ってますし♪ 

    いやいや、長々お付き合いありがとうございました(^^) 非常に楽しかったです♪ 
    時節柄、どうぞお身体ご自愛下さいませm(__)m

  • #23

    佳蔵院 (水曜日, 19 3月 2014 06:58)

    清さん コメントありがとうございます。

    う~ん お経と映画や小説の解釈を同レベルで考
    慮するのはどうかと思います(;¬_¬) 

    もちろん、原文から読み取ることにこしたことはな
    いですが、「抽象的なもの」は、原文から読んだほ
    うが良いという話しでして・・・


    外国の映画や小説等は、抽象的なものを除きプロ
    の翻訳者によって訳されたものであれば、そうそう
    意図がズレることはないと思います。多少、日本訳
    の表現に違和感を感じることはありますが、大きく
    ズレることは無いようですよね。


    外国の映画や小説等はストーリーがありますので、
    意味が分かりにくい言葉でも補うことができますが、
    お経は哲学に属するところもあり、又抽象的な表現
    もありますので、原文から解釈されることをお勧めし
    たつもりです。


    「意図するものの解釈が同じになるならば、訳は違
    っていてもいい 」ということについては、ちょっと理
    解に苦しみます。


    「解釈が同じになるならば」という「仮定」をもとに異
    訳を是認するには、無謀すぎるのではないでしょう
    か。


    清さんから最初に頂いた般若心経の解釈が、全て
    の人の解釈と同じであるとするならば、異訳であっ
    ても問題が無いと考えることもできそうですが・・・ 


    実際、清さんも含め様々な解釈が存在するわけで
    すので、「仮定」の話しは成立しないようです。


    「理解されるべきものが、本当に理解されるのであ
    れば、それはなんでもいい 」ということも、上記と同
    じく成立しないようです。


    また、大事なのは言葉ではなく、法が理解できれば
    それで良いというところも、無謀すぎるように思えま
    す。


    現実、法を理解するためには、言葉が必要になりま
    す。その言葉がズレていれば、法を理解することは
    難しいことでしょう。ですので、理解されにくい言語
    での記録を釈迦が禁止したというところにつながる
    わけです。また、理解するためには、「言葉」が重要
    になってくるということになります。



    「漢訳の般若心経が仏教を理解するのにとても解り
    やすく 」とありますが・・・


    私には、とてもとてもそこまでの理解力がありません
    ので、漢訳の般若心経から仏教を理解することは所
    詮無理な話しのようです。

    清さんは、すごいですねぇ(*´∇`)


    こちらこそ、たくさんのコメントを頂きありがとうござ
    いました。清さんも、くれぐれもお身体ご自愛下さい。

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