祝詞を唱えるとき

 

あぁ~ 最近もちょーっと忙しくて、更新が滞っておりましたぁ。

すんまそ・・・ (;¬_¬)

 

だいぶ落ち着いてはきたんですけど、もうしばらく忙しい感じでし
ょうかねぇ。もっと時間を有効に使わんといけんですね。

 

ではでは、前回のブログ(般若心経の内容や効果)に関連したご質
問等について書いていきます。

 

 


祝詞(のりと)を聞かれたことがあると思いますけど、祝詞ってど
んな時に使うか知ってますか?

祝詞は基本的に祭事において奏上されますが・・・
神さんに対して崇(あが)め敬う気持ちを伝えたり、また祈願する
ときに使います。

 



祭事で奏上される祝詞の文章はだいたい決まっていますけど・・・
個人的に奏上される場合は、自分でその文章を作り変えても構いま
せん。自分なりに神さんを崇め敬う気持ちを、また望み等を文章に
しても宜しいです。




神社等では願い事をするのではなく、自分の決意を伝えるべきだと
たまに聞くことがありますけど・・・

う~ん 間違いではないかと思いますが、その前に神さんを崇め敬
うことのほうが先になります。




「崇め敬う」という表現を使っていますが、感じとしては畏(おそ)
れるというような意味合いで使っています。身近な例えをすると、
尊敬する目上の人の前で、また厳しい人の前で背筋がぴんと伸びる
ような感じです。畏(かしこ)まるという感じでしょうかね。


そのような気持ちが前提にあって、生活させて頂いているという謹
しんだ姿勢から、今の営みが無難にいければという畏れた気持ちで、
神さんの前に立つわけです。




以前のブログにも書いていますが、神さんを祀るということはご利益
を得るためではなく、畏れ(崇め)敬いの気持ちを伝える、また神さ
んを鎮めるために祀るとです。

 

しかし時が流れ、科学や医学等の発展により災害や病気等から人は
自らを、また社会を守ることができるようになり、神さんの守護に
頼ることも少なくなったとです。

 

このことは、人がより良く生きていく努力をしてきた結果ですので、
喜ばしいことだと思います。




けれど、神さんに頼ることが少なくなったとはいえ、畏れ敬う気持ち
等までも不必要になったわけではありません。



時代の変化にそって、畏れや鎮めるという気持ちが薄れるにしたがい、
神さんへは人の欲望が拡大していったわけですが・・・

いつのまにか、「神さん=願い事を叶えてくれる」という図式が出来
上がってしまったとです。



神さんを畏れ敬いながら、「生きていければ」という必要的人の欲が、
いつのまにか自己本位の欲を満たしてくれる便利的な存在に神さんは
落ちていったとです(;¬_¬)


これは仕方ないことかもしれませんね。




佳蔵院は「欲」を悪くみる一方で、必要なことだと思っています。
「欲」で身を滅ぼすこともありますが、「欲」で生きる力を得る
こともできます。


ただ、その「欲」を神さんにぶつけるのは、ちょっと待ちんしゃいと
いうことなんです。



自分の「欲」に向けた努力もなく、むやみやたらに祈願するのは都合
が良すぎると言いたいわけですたい(¯―¯٥)

 

 

そこで、畏まりながらも恐る恐る希望を述べるために、祝詞があると
思われたら良かです。(祝詞を上げれば、努力しないで良いというわ
けではありませんからね)

祈願の目的や祈願前の挨拶的な形式を文章に表したものと思って
頂いても宜しいです。

 



また、この祝詞は祭事や祈願以外でも読まれて構いません。んで、
どんなときに読むかということなんですが・・・

その前に祝詞のことをもう少し書いておきますね。




ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、祝詞は「大和言葉(や
まとことば)」で書かれています。大和言葉とは、漢字が日本に伝わ
る前から日本で使われていた言葉です。

 

んで、この大和言葉にはですね、ちょっと特徴がありまして・・・



大和言葉は、ら行の文字が言葉の初めにきません。
どういうことかというと、たとえば「楽(らく)」という言葉の始め
は「ら」から始まっていますけど、大和言葉には、「ら」行から始ま
る言葉がないということです。

りんご、らっぱ等は大和言葉ではありません。




また、言葉の初めに濁音(だくおん)や半濁音(ぱ行、びゃ等)がき
ません。濁音や半濁音から始まる言葉はないとです(擬声語等一部を
除く)。

 

 

 

 

だからでしょうかねぇ、大和言葉ってなんかすっきりとして、きれい
な言葉に感じます。

 

 

 

ラ行や濁音・半濁音等から始まらない言語を使っている国は、日本
以外のアジアの国々でも使われています。

 

 

 

そんな祝詞ですが、佳蔵院は身滌(みそぎ)の大祓いという祝詞をい
つも唱えています。「たかあまはらにかむづまります~」から始まる
祝詞です。


特に、思考が負の感情に長く占有されているときに唱えています。
何回も何回も唱えています。眠る前や普段の生活の中でも、唱え
ています。


ある理由があって、祝詞等の唱え方を詳しくはご紹介できませんが、
多い時は一日に100回以上も唱える時があります。



祝詞を唱えることで、思考をすり替えていると思って頂いたほうが宜
しいかもしれません。



もちろん、神社等でも唱えますが、佳蔵院個人の祈願として祝詞を唱
えることはほとんどありません。神さんに迷いなんかを伝えることは
ありますが、神社等で個人の祈願をすることは、まずありません。神
社等ではただひたすらに祝詞を唱える時があます(¯―¯٥)




すみません、今日もちょっと忙しくて・・・
とりあえず、祝詞に関してはこれくらいで終わりにします。

 

次回のブログは、神道と祝詞 です。

 

 

 

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コメント: 12
  • #1

    浪速のサム (日曜日, 26 1月 2014 23:10)

    こんばんは
    佳蔵院さんのページにお世話になって2ヶ月近くになります
    スピリチアルな世界に非常に関心が高くて瞑想のご指導も頂いてます
    今回のブログの中で禊ぎの大祓について
    「祝詞を唱えることで、思考をすり替えていると思って頂いたほうが宜しいかもしれません」は
    納得のいく表現でピッタリ来ました
    脱線しそうな思考の歯止めがかかるような感じも有りますね。
    禊ぎの大祓を空で言うのにまるまる一月かかりました、60越えると何かに挑戦する意欲が落ちるところでしたが、やれば出来ると自信を持ちました
    いつも有り難う御座います

  • #2

    佳蔵院 (月曜日, 27 1月 2014 18:37)

    浪速のサムさん コメントありがとうございます。

    祝詞を憶えられたようですね。良かったです(¯―¯٥)
    心や感情が乱れるとき、いつも心の中で唱えるように
    して下さい。

    それが習慣になっていきますと、前向きな時間が増え
    ていきますので、少しずつかもしれませんけど、自然に
    思考している方向へ流れていきます(・´∀`・)

    良い思考で心をいっぱいにして下さいね。

  • #3

    ゆき (月曜日, 27 1月 2014 22:54)

    こんばんは。またお聞きしたいことがあります。
    最近私も、何回も繰り返し繰り返し唱えている自分に気付きます。意識してでなくなんか歌を口ずさんでるような感覚です。あまりそれはよろしくないですか?たぶん覚えようと思って口にしてたのがクセになってるかな。

    それと誰か他の人のために祝詞を唱えるのはいいことですか?その人がいい方向にいけばいいのにと願いながら。

    いつもしょうもない質問ばっかりですみません。

  • #4

    shimohaha (月曜日, 27 1月 2014 22:58)

    こんばんわ~♪身禊大祓の祝詞、朝の通勤中から毎日唱えちょります。徒歩通勤で良かったですばい。
    お風呂の中でも数回、1日の終わりの布団の中でも数回と数も増え、今日も1日ありがとうございましたと。
    今まで、思いもしなかった思考なんかもしれまっしぇんね。
    まだまだ続けたて行きますばい!

    そう言えば、
    この間、進んでない瞑想の練習途中に左目だけに、はっきり見える?
    ( ・∇・)?黄金色の龍の顔が…こっちを向いとりまして、はて?あれはなんやったんちゃやろか?
    左目だけちゅうんが、意味解らんとです。

  • #5

    佳蔵院 (火曜日, 28 1月 2014 19:06)

    ゆきさん shimohahaさん
    コメントありがとうございます。

    ゆきさん
    無意識に祝詞を唱えることは、悪いことではありませ
    んよ。むやみに祝詞を唱えて祈願するのは、あまり
    好ましくないですけど(¯―¯٥)

    メルマガ等で祝詞をお勧めしている理由の一つは、
    思考をすり替えるためです。メルマガ等で、ちょっと
    特別な唱え方をお知らせしておりますけど、好ましく
    ない思考を変えるために祝詞を使われると宜しいで
    す。また、無意識に唱えていらっしゃっても宜しいで
    すからね(・´∀`・)

    思考をすり替える以外には、祝詞の中に、「もろもろ
    のまがごとつみけがれをはらひたまへきよめたまへ」
    とありますが、これがこの祝詞のポイントになります。
    メルマガでお伝えしている読み方で唱えていらっしゃ
    ると、なお良いですよ。

    理由は近いうちにブログでご説明します。別にご質問
    を頂いていた方とも、祝詞について今日お話しをさせ
    て頂いたんですけど、あまり時間が無く早口で終って
    しまったところもありましたので、ブログに書こうかと思
    っていたところです。

    人のために祝詞を読むことは、大変良い事です。これ
    についても、近いうちにブログで書くようにしますね。


    shimohahaさん
    そんな感じで祝詞を読まれても宜しいですね(¯―¯٥)
    感謝とともに祝詞を読まれることは、大変良いことだ
    と思います。

    瞑想中に竜の顔のようなものが見えてきたとのこと。
    同じものを見ていないので、何ともいえないところがあ
    りますけど・・・。

    基本的に瞑想中に浮かんでくるものは、記憶の断片
    になります。竜や妖精等の姿は本やテレビ等で記憶
    したものが画像として映し出されています。実際は、
    テレビや本等で描かれているような姿はしていませ
    ん。仮に竜や妖精等に値するエネルギー体が瞑想中
    に浮かんできたとしても、それを見ただけでは竜や妖
    精等と判断することはできないと思います。

    以前も同じようなコメントを頂いていて、付け加えるこ
    とを忘れていたんですが・・・

    竜や妖精等に値するエネルギー体を感じた時、若しく
    はそれらを切望している時等、それを脳が表現する中
    で過去の記憶(テレビや本等で記憶した竜・妖精の姿)
    を利用して映し出すことはありますので、単なる過去の
    記憶なのか、切望した結果なのか、また実際竜や妖精
    に値するエネルギー体を感じて映し出されたのかは、そ
    の時点では何とも言えません(¯―¯٥)

    ただ、竜や妖精に値するエネルギー体であれば、何か
    しら不思議な出来事が起こりますので・・・
    そのような経験をなさっていくと、脳が竜や妖精等のエ
    ネルギー体を記憶していきますので、次第に竜や妖精
    等のエネルギー体がはっきりと分かってきます。

    瞑想が上手くいっているようですね。その調子でいけ
    ば、深い瞑想にも入れるようになりますよ(¯―¯٥)

    片方の目に映ることについては、以前のコメントにも書
    いていますので、探して読んでみて下さいね。

  • #6

    berry (火曜日, 28 1月 2014 23:18)

    佳蔵院さま

    瞑想についてまた質問をさせて頂いてよろしいでしょうか。

    就寝前の瞑想についてです。

    やはり寝てしまうことが多く、目覚ましをセットして行おうと思います。
    その場合、目覚めた後はまたはじめの身体をリラックスさせる所から始めるのでしょうか。

    大変初歩的な質問ですが、教えて頂けると幸いです。

  • #7

    keizo-in1 (水曜日, 29 1月 2014 19:27)

    berryさん コメントありがとうございます。

    目覚めたあと、体はリラックスしていますので、体を改
    めてリラックスさせる必要はないと思いますが、息を整
    えながら(普通の呼吸、又は軽い腹式呼吸)、体全体
    を見回して気になる部分がありましたら、Vol.1に書い
    ている作業をなさって下さい。

    目覚めたあとは余計な力が入っていないことも多いの
    で、リラックスしたあとの作業を今ご覧になっているメ
    ルマガにそって行ってみて下さいね(¯―¯٥)

    しばらくまどろんだ心地良さを感じながら作業を行った
    り、心を高揚させるような想像等をなさっていくと、宜し
    いかと思います。

  • #8

    berry (金曜日, 31 1月 2014 00:52)

    佳蔵院さま

    いつも丁寧にご回答ありがとうございます。
    いまからまたチャレンジしたいと思います!

  • #9

    ゆき (日曜日, 02 2月 2014 21:18)

    神社について質問です。
    神社に祀られてる神様の種類にいくつかありますね。
    佳蔵院さんも神社に自分と同調するものと、しないものがあると言っておられました。
    今まで、何もわからずお参りしてましたが、ふと神様って、私的には、神話系や土着の神様を指しているもんだと。
    でも、よくよく考えると、人格神もありますね。

    メルマガでも、神様と振動を合わせたりとか、同調するという神様って、その人にもよるとは思いますが、本来、何を基準にして、神社を選ぶのがいいのですか?
    そんなことを考えるのはおかしいとは思いますが、神社にも、善悪があるって言われてたし。

    毎日の参拝は、近くの神社ですが。

    考え過ぎですか~_~;

  • #10

    佳蔵院 (月曜日, 03 2月 2014 20:34)

    berryさん ゆきさん コメントありがとうございます。

    berryさん 
    焦らず、楽しみながらやって下さいねぇ~(¯―¯٥)

    ゆきさん
    以前のブログやコメントにも書いていましたが、実際
    神社へ行かれて、気持ち良い所を選ばれたら宜しい
    す。何ヶ所か神社へ行ってみて、その中で心が気持
    ちよく、又すっきりする神社を選んで下さいね(¯―¯٥)

  • #11

    フィット (木曜日, 13 2月 2014 01:23)

    こんばんわ。

    佳蔵院さん、お忙しそうですけど元気してますかぁ?

    私も中々忙しくて久々の投稿です。

    この所新しい事に色々取り組んで、それはそれは、
    いい事も悪いこともあったりします。

    佳蔵院さん、質問なんですが、よく、霊界では魂の成長が遅いから
    この世で体験を積むことで、飛躍的に格が上がる(チャンス)ということを
    聞きますけど、
    私たちは生まれる前に「今度こそっ」と決意しますよね。
    でも、苦しい体験をしなければ格が上がらないのって、どんな
    意味なんでしょう?
    人に対しての善行為は未だわかるんですけど、苦しむ事が向上に繋がるっていうのは
    中々理解しがたいものだと思いませんかぁ?

    まぁ、苦しみは乗り越えたところに、その達成感はあるといえばありますけどね、
    人間ってどうしても怠惰なことってあるじゃないですか?
    (って私だけだったり・・・)
    次々に訪れる試練に対して立ち向かう勇気が大切で、それでいて、
    実行しなくても、神様は特に咎めない。
    結局は、自分の決意が大切ですよね。こんな事言ったら
    怒られそうですけど、営業マンって、外で何をしていてもわからない
    ですよね、でもそれが数字に表れてくるという、この因果関係。

    霊自身が格を向上し、やがては、次元の高い神様に一層近づく
    んでしょうけれども、生まれる時にその記憶を無くすっていうのは
    酷ですよね。

    この辺り、霊世界での魂の成長とこの世での体験について、今度
    ブログで解説いただければありがたいです。

    では、お仕事頑張ってください。夜分失礼しました。

  • #12

    keizo-in1 (木曜日, 13 2月 2014 21:09)

    フィットさん コメントありがとうございます。

    だいぶ忙しさも落ち着いてきたとこです(・´∀`・)
    そうですね、このコメント欄では書けそうにないよう
    なので、ブログにて書くようにしますね。

    フィットさんもお仕事燃えて下さいねぇ~(¯―¯٥)

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