祝詞の使い方


今回まで、祝詞等に関したことを書いていきます。
(前回のブログは、神道と祝詞 です)

祝詞を上げる基本的な目的を前回のブログ等で書いていますが・・・
もう少し一歩踏み込んで詳しく書いてみます。みなさんは、人のため
に祝詞を上げることはできますか?




人のために祝詞等を上げるには、純粋な気持ちがなければなかなか
できないことです。我欲のために祝詞やお経を上げることは簡単で
すが、純粋に人のために上げることができる人は少ないと思います。



信仰を正しくとらえている方にとって、人のために祝詞やお経を上げ
ることはさほど難しくないようですが、信仰が我欲から出発している
人には、ちょっと難しいようです。




「我欲」に走れば、周りが見えにくくなってきますよね。自分の望み
だけしか見えていないので、周囲とのバランスが悪くなっていきます。
見えにくくなっている上に、周囲とのバランスも悪くなりますので、
上手くいかなくなることは当然のように思えます。



「我欲」は全てにおいて悪いとは思いません。欲で身を滅ぼすことも
あれば、欲が活きる力を与えてくれることもあります。



ただ、基本的な欲(食欲や睡眠欲等)以外の自己顕示欲や物欲等に
とらわれていると、行き詰ることが多いようです。このようなこと
は、皆さんそれなりに分かっていらっしゃると思いますので、ぐだ
ぐだと書くつもりはありませんが・・・




長い間悩んでいたり、上手くいっていない人がいるとすれば、それは
「我欲」が根本にありませんか?欲にとらわれているから、前に進め
なくなっていませんか?

 

欲を追究することは悪いことではないかもしれませんが、長い間悩ん
でいたり、上手くいっていないとすれば、それは動機や考え方、見方
が合っていないと思うとです。欲に流されているから、思う通りにい
かんと思うとです。



3ヶ月間も答えや解決策が見い出せないとしたら、根本的なことが恐
らくずれていると思います。



そんなときにですね、祝詞等の別の使い方を試してみたら良かです。





ブログやメルマガでも書いていますけど、まずは自分の思考や感情
をすり替えていく必要があります。物事に対するとらえ方がずれて
いるから、いつまで経ってもすっきりせんとです。




以前も耳なし芳一のことをちょっと書きましたけど、芳一が般若心
経をひたすら唱えるいるという意味は、恐怖や迷い等の負の感情を
すり替えるためでもあります。



ちなみに、お坊さんがお経を何回も何回も通読する時も、負の思考、
つまり、煩悩(ぼんのう)をすり替えるために読むときがあります。

煩悩の根源と言われる貪欲(どんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(
ぐち)が思考を占めていると、悩みや問題に振り回されなかなか前
に進めません。



だから、そんな負の感情や思考をすり替えるために、ひたすら祝詞
等を読み上げていくとです。メルマガや鑑定等でお話ししている読
み方で上げていけば、自然と負の感情や思考がなくなっていきます。



負の感情や思考等がなくなっていけば、それらで占められていた心
の中に空間ができます。とりあえず、心に平穏が訪れますけど・・
あとは、前向きな考えや感情を持てば、少しずつ上向いていくとい
うことです(・´∀`・)


いいですかぁ?すり替えるだけではなく、心が落ち着いたときに、
良いと思う思考や感情でいっぱいにしてあげる必要があるとです。

 


ついでに言っときますけど・・・
寝る前に過去の出来事をぐちぐちと思い出して、そのまんま寝たらい
けませんからね。寝る前に過去の出来事が思い出されて、愚痴や執着、
怒り等と一緒にいつも寝ていたら、そりゃ朝起きてもすっきりしませ
んわな(;¬_¬)




朝起きて一日が始まるんじゃなくて、睡眠から一日が始まると思って
下さいよ。よかですかね?

寝る前に瞑想でもって、その日の負の感情を整理したあと、心に安ら
ぎや高揚感等を持たせて寝るとです。気持ちよく眠りにつけるよう、
心をリセットして眠るとです。





ちょっと話しがそれちゃいましたが・・・
佳蔵院は一日に祝詞を100回以上唱えることがあります。好ましくな
い思考や感情にとらわれているとき、ひたすら祝詞を唱え続けます。

そうしていると、好ましくない思考や感情がすり替えられ、負の流れに
ひっぱられることもなくなります。負の流れに費やす時間が無くなると
いうことは、それだけ好ましい時間を過ごせる枠が広がるわけです。


そこで、改めて自分の物事のとらえ方や考え方、アプローチの仕方を
見直していったり、好ましい感情で心をいっぱいにしていけば、当然
良い流れへ進んでいけるということです(・´∀`・)





ですので、佳蔵院は長い間思い悩むことがありません。まぁ、単に佳
蔵院がまぬけ?だけなのかもしれませんけどね・・・(;¬_¬)

決して佳蔵院は元から楽天的な性格というわけじゃありません。そり
ゃ調子が良い時は、皆さんと同じように、物事を楽天的に考えること
ができるかと思いますけど、調子悪いときはやっぱ気持ちもすぐれず、
悩むこともあります。




ただぁ~ 好ましくない状況をひっぱらないようにしてるとです。それ
だけで、毎日が変わってくるとですよ(*´∀`)♪

 




身禊(みそぎ)の大祓(おおはら)いという祝詞はですね、その内容を
みれば分かりますけど、「もろもろのまがごとつみけがれをはらひたま
へ・・・」とあるように、

知らず知らずに犯したかもしれない過ちや穢(けが)れを祓(はら)い
清めてもらうことをお願いしている祝詞になります。




周囲の人々へ向けて祝詞を上げれば周囲の人々のために、又自分に
向けて上げれば自分のためにお願いすることになります。本来は人
々のための祝詞ではありますけど、自分のために唱えられても宜し
いです。





念のために言っておきますが、「穢(けが)れ」とは霊等を意味して
いるわけではありませんからね。霊を祓い清めてもらうことではあり
ません。



穢れは「気枯れ」のことで、例えば、魂が沈んでしまった状態と思わ
れたら宜しいです。魂が抜けた好ましくない状態を穢れと思って下さ
いね。生きる力がなくなった状態を清め、回復させることをお願いし
ている祝詞だと思って下さい。




沈んだ状態のままで物事を決断したり行っていけば、良い結果はあま
り期待できませんよね。だから、自然の浄化をもって正常な状態に戻
してもらい、気持ちよく生きていきましょうというわけです。




生きていこうとする心に・・・
神仏も感応すると思って下さいねぇ~(*’▽`人)゚


ぐちぐち思い悩んでいたり、人を批判したりしたところで、浮かばれ
ることはありません。それより、自分の視野の狭さや未熟さを悔いて
いたほうが、よっぽどプラスになってきます。

人と比較した我欲にとらわれているから、悩むとですたい(¯―¯٥)

 

 

 

 

あと、祝詞には呪文のようなものと違う効験があります。そのことに
ついては、別の機会にまた書きます。



次回のブログは・・・
前世の記憶と霊的世界(人生の目的、テーマ)の記憶 です。




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コメント: 5
  • #1

    ゆき (金曜日, 21 2月 2014 18:37)

    佳蔵院さん、私の質問に詳しくブログでお答え頂いてありがとうございました。

    前回と今回の内容は本当に感謝です。
    祝詞を人のためにあげるのは、いいことなのか、その人のためにならないのか迷ってました。
    佳蔵院さんの言うそのまんま、魂が抜けて生きる目的を失った友人をどうにかしたくて、祝詞を唱えてます。
    それももしかしたら我欲なんかもしれません。でもプラス思考にしたくてたまらないです。

    私は、どん底から立ち直れて今は本当に楽しく幸せに生きています。
    同じ私という人生で、今この瞬間を大切に過ごすことを学べました。

    だから、おこがましいですが、今悩んでいる人に手を差し延べたいと思います。

    佳蔵院さんのブログ、メルマガ………ありがとうございます。感謝してます。

  • #2

    佳蔵院 (土曜日, 22 2月 2014 18:59)

    ゆきさん コメントありがとうございます。

    もう少し書くつもりでしたが、ちょっと時間がなくなり
    ましたので、キリがいいところで終りました。

    以前も少し書いている部分がありますので、ご覧に
    なってみて下さい。「ソウルメイトと人生の目的・シン
    クロから幸せにつながる願い」http://bit.ly/1fHmtXq

    「手を合わせて」その方のために祈って上げて下さい。
    瞑想で心を落ち着けて、ゆっくりとゆっくりと祈って上
    げて下さいね(・´∀`・)

  • #3

    shimohaha (土曜日, 22 2月 2014 19:01)

    佳蔵院さん、毎日お疲れ様です!お元気にしちょります?
    この場をおかりしますが、ゆきさん すんごく嬉しく思ちょりますばい。私まで、その喜びが伝わりまっするき!
    私からもお礼を申し上げます。

    祝詞で思考のすり替えやき、何度も何度もお唱えせんといかんとやね。
    よくない思考にとらわれとるんか、我欲なんか よう解らんけんが
    何をどう考えていいのか解らなくなるときがあるとです。
    脳が配線ショートしたような。。
    ゆっくり、ゆったりと思考できたらよかやけど、瞬時に答えがだせん状況にはどうしても配線ショート! 
    考えることの まぁキャパ超えなんでしょうかね(笑)

    昨日は、肯定していくことがどんなことに繋がるのか身をもって体験したとです。とある事象について半分自信なくもありながら、これでよかと!と何回も声をだして。そしたら、良い方向へと流れておりましたですばい!
    それで気づいたのは、自分自身の自信なさと精神の弱さ。
    天神を徘徊しながら(単に道に迷っただけです)気づいたとです。

    佳蔵院さんと、シンクロするかと思ったりもしましたけどね(笑)
    次の更新を楽しみに待ってます。
    まずは、ゆきさんのお礼まで。。

  • #4

    ツチヤ (月曜日, 24 2月 2014 19:10)

    祝詞の唱え方について質問です。
    呪文のようなものではない、とブログにありますが、文字通り「連続して何回も」唱えてもいいのでしょうか。「かしこみかしこみもうす・・(あまり間をおかず)たかまがはらにかむずまります・・」といった感じに(連続して唱えるとなんだか『呪文』っぽいような気もします)。
    心の中で唱えると頭がクリアになるので唱えていますが、なんだか畏れ多い気がして、雑念にとらわれていると感じた時に心を込めて一回だけ唱えるようにしていたのですが。

  • #5

    佳蔵院 (月曜日, 24 2月 2014 23:16)

    shimohahaさん コメントありがとうございます。

    最近は忙しさもだいぶ落ち着いてきました。相変わら
    ず、元気しておりますよ(¯―¯٥)

    肯定していくことは、良いことですよねぇ。私もたまに
    意識して物事を肯定していくようにしています。肯定
    していくと偏った見方にはなりにくいですし、又焦らな
    くなるので、気持ちも落ち着いてきます。

    それから、肯定していくと・・・
    物事がつながっていることにも気付きますよね。

    おっwこれは、気付きませんでした。先日の私のコメン
    トと2分違いだったんですね・・・(*´∀`)



    ツチヤさん コメントありがとうございます。

    ブログで「呪文」のようなものではないと書いているの
    は、意味がないような言葉だったり、呪術的な目的で
    使用するものではないといった意味合いで書いていま
    す。

    繰り返して読むことから呪文のようなものを連想された
    かもしれませんが、ブログで書いている祝詞の使い方
    は、思考や感情のすり替えを目的としています。また、
    祝詞は意味のない言葉で構成されているわけではあ
    りません。

    心の中で祝詞を一回唱えて、すっきるするようでした
    ら、それで良いと思いますよ。回数等はご自由になさ
    って宜しいです(¯―¯٥)

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