カルマと輪廻転生、苦しみの危険

前回(苦しみと宗教)の続きを書いていきますね。

前回はちょっと詳しく書けてなかったので、もう少し具体的なことを書
いてみます。



霊格を上げるために、手段として苦しみが用意されているというような
考えは、前回も書いていますが、非常に危険な思想につながる可能性が
あります。

 

 

 

「苦しみ」という手段をもって霊格を上げるというのは、表現が上手く
ないかもしれませんが、アスリートが体をいじめるようなものですよね。

アスリートが体を鍛えに鍛え、強靭な体をつくっていくことに似ている
かもしれません。体に負荷を与えると、体は強くなっていきますが、こ
の世で苦しみを与えることで、精神(魂)を成長させていくような発想
です。



そもそも、「苦しみ」とはどういうものを指しているんでしょうか?



釈迦の表現を簡単にいえば、「苦しみ」とは、お金や地位、名誉、異
性や愛等に対して「執着」し、思うようにならない「もがき」を苦し
みといっています。その他にも、四苦八苦という言葉もありますが、



生老病死(四苦)の「生」の苦しみは、例えば、何の為にこの世に生
まれてきたのか、何を目的に生きていけば良いのかという疑問が解決
できない苦しみ、また思い通りに生きていけない苦しみ等、「老」は
若いままの状態を保てない苦しみ、変化していく自分を止めれない苦
しみ等をいいます。

 

 

 


「苦しみ」というものは、肉体的にも精神的にも「辛い」、「痛い」
等のような感じではなくて、全体的には「思い通りにいかない」よ
うなことを指しています。

 

 

 


仮に、「思い通りにいかない」ことを通じて霊格を上げるとするなら
ば、人生が思い通りに進む場合は生まれてきた意味が無くなります。
人生が思い通りに進んでいる場合は、苦しみを通じて霊格を上げると
いう立場からみると、時間の無駄になっちゃいます。




実際人生では、思い通りにいかないこともあれば、思い通りにいく場
合もありますよね。苦しみが霊格を上げる、またそのために生まれて
きたとするならば、思い通りにいっている時は生きている価値が無く
なってしまいます。幸せな人生だったとしたら、霊格は上がらないこ
とになります。

 




「苦しみ」を通じて霊格を上げるという思想は、カルマや輪廻転生と
セットで言われることが多いと思います。

このような思想は仏教が起こる以前からあった思想でして・・・
歴史を振り返ってみれば、アーリア人がインド北西に侵攻し、先住民
を征服しながら、カースト制度でもって支配していった時代にさかの
ぼります。



カースト制度という言葉は聞かれたことがあると思うのですが、ちょ
っと前も新聞等で報道されていますけど、カースト制度の影響なのか、
女性に対する強姦事件が度々起きています。

 


カースト制度は、「バラモン」:司祭者や僧侶からなる階級をトップ
として、「クシャトリア」:王族や武人、「ヴァイシュア」:庶民、
商工者、農民、「シュードラ」:先住民、奴隷階級、牧畜者等
の4つの階級に分けた身分制度です。


各階級は世襲制で業種が決められ、又違う階級との婚姻も禁止して
います。



バラモン階級の権力を高め征服先の国を維持するために、バラモン
教を布教していきます。このバラモン教の奥義書として、ウパニシ
ャッド哲学というものがあるのですが・・・



この奥義書に、カルマや輪廻転生等について書いてあります。


カルマ(業):行い等の意味
輪廻転生:何度も生まれ変わること



奥義書(ウパニシャッド哲学)とカースト制度を合わせて書いてみる
と、前世の行いによって次に生まれ変わる先(階級)が決まり、例え、
奴隷であっても、その行い(バラモン教が説く儀式や生活規範に従っ
て生きれば)によっては上の階級に生まれ変わるとしました。


つまり、バラモン教を通じてカースト制度を維持していったわけで
す。カースト制度から起こる不満等をバラモン教で解消し、政治や
治安の維持を図っていったとです。




実際身分制度のような社会の中で、今私達が生きているとしましょ
うか。


やってみたい、又興味ある仕事には就けず、世襲制に基づき親の職
業を受け継ぎます。好きな人がいても階級が違えば、結婚も許され
ません。もちろん、下の階級であれば、差別も当たり前にあるでし
ょう。下の階級の人へ犯罪等を犯しても、不問にされることでしょ
う。理不尽な世の中で過ごすことになります。

 

 


こんな社会に対して不満を持ったとしても、その不満を政治や権力者
にぶつける行為(反乱等)は悪業とされるわけです。この世の悪業は
来世に影響を及ぼし、今以上に辛い状況になってしまうと説くわけで
すね。



カルマ(業)や輪廻転生を基盤にした宗教が浸透していくと、支配さ
れている人々は反乱等を起こすのではなく、来世のためにバラモン教
が説く生活規範を受け入れて生活していきます。




今反乱等を起こして、支配階級の人々を殺してしまえば・・・
来世は、奴隷としての人生が待っているということになるわけです。

 




どうしようもないですよね?(;¬_¬)
神を敬い、畏れていた時代です。神の代弁者がそのように言えば、
民衆は従うしかありません。


能力があっても奴隷として生きていかなければなりません。自由に
職業が選べるというわけではないとです。結婚も同じ階級内でしか
許されません。理不尽な扱いを受けても、我慢するしかありません。

 

 

 

 

「思い通りに生きていけない」、こんな状況が「苦しみ」というわけ
ですね。そしてこの後に、釈迦が登場してきます(¯―¯٥)

 

 

「人生は苦」と言った、釈迦の真意や当時の背景が分かってくるでし
ょう。


このような「苦しみ」から、人々はどうやって抜け出せるのか、又よ
りよく生きていくためにはということを釈迦は説きました。




「苦しみ」を得て霊格を上げるという発想は、バラモン教等の思想と
同じようなものであって、今の「苦しみ」が来世では良い人生につな
がるという理屈をもって、現状の改善やよりよく生きていこうとする
意欲を無くしてしまいます。




「苦しみ」を得て霊格を上げるという発想を追究していくと、苦しみ
を与えてあげたほうが、その人のためになるということです。ですの
で、修行という名のもと、肉体や精神を過度にいじめるということへ
つながりやすくもあります。



さらに、「苦しみ」を与えてあげたほうが良いという点を追究してい
くと、死ぬ寸前まで苦しみを与えること、最高の苦しみを「死」とす
るならば、命を絶ってあげたほうが良いという理屈になってくるとで
す。





また、輪廻転生等から別の面をみると・・・
悪い行いをしている人がいれば、来世は苦しむことになってしまうの
で、この世での命を絶ってあげたほうが良いということになるとです。




「ポア」という言葉を憶えていませんか?ポアとは、チベット語(仏
教用語)で魂を高い次元へ移(転生)すことをいいます。ポアという
仏教用語を使いながら、悪業を重ねる人を救うという理屈をもって、
某宗教団体は人の命を奪っていったわけです。



団体からみた悪業をそのままにしていれば、その人の来世は苦しむ
人生となってしまうので、高次元の世界へ魂を導いてあげる、また
転生させるために、命を絶ってあげるという理屈です。



また、輪廻転生等を信じた若い人の自殺も起きましたね。





「苦しみ」を得て霊格を上げる、カルマや輪廻転生等をもって来世の
人生を良くするという発想は、非常に危険なことへつながっていく可
能性があっとです(;¬_¬)



「苦しみ」について、もう少し書けばですね・・・
「苦しみ」や「幸せ」は誰が判断しているのでしょうか?

 

 

それを判断しているのは、もちろん私達自身ですよね。一人一人が苦
と判断したり、幸せと判断しています。一人は苦と感じても、別の人
は違う感じ方ができます。一人が幸せと感じても、別の人にとってみ
れば、何とも感じないということがあります。



奴隷のように扱われる、又自由を束縛される等のような特別な事情を

除き、普通の生活における目の前の事象は、苦でもなく幸せでもない
わけです。目の前の事象を苦、若しくは幸せ等のように判断している
のは、私達自身ですよね。




うっ・・・ 時間がなくなってきました(;¬_¬)
続きは次回にまた書いていきます。



次回のブログは、苦しみの実体 です。




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コメントをお書きください

コメント: 14
  • #1

    ゆき (金曜日, 18 4月 2014 22:45)

    苦しみ……思い通りにいかないことなんですね。

    お金に困る生活を強いられる。家族の縁が希薄である。とか自分が苦痛と感じている事柄が、不運であるとしか思わない人と、これは自分の魂を磨くものだと気づく者とは何か変わりますか?

    神様は乗り越えられない苦痛はお与えにはなりませんよね。
    気づいて学んだら幸せな人生だと思えるでしょうか。

  • #2

    佳蔵院 (土曜日, 19 4月 2014 22:31)

    ゆきさん コメントありがとうございます。

    今の現状を不運としかとらえられない人と成長のた
    めととらえる人では、大きく違ってきます。

    詳しくは次回のブログにて、書いてみますね。

    神仏は乗り越えることができない苦痛を与えないと
    いう表現がたまにされますが、見方によっては、自
    分が乗り越えられないテーマをもって、生まれてくる
    ことはないとも言えます(¯―¯٥)

    気付いて学び、それを「実践」できれば・・・
    結果として、幸せな人生だと思えるのではないでし
    ょうか。

  • #3

    shimohaha (日曜日, 20 4月 2014 01:20)

    こんばんちわ。輪廻については仏教には付き物のようですね。カースト制度がバラモン教からの発祥だとは知りませんでござした( ̄▽ ̄;)仏教で説かれたことが何故ゆえに今の日本にこんなに浸透しとるんやろ?宗派も色々あるし。皇室は神道を重んじてて、家庭でも神棚とかをお祀りしてても殆んどが仏教というのも不思議ですな。(・・?

    命の尊さは地球上に生まれてきた以上、地球上で比較できるものではないと思うとです。
    とある国の政治的に他の宗教を弾圧したりも、おかしな話ですよね。宗教は、ある意味心の支えになっている部分もあると思います。しかしこれにお金が絡んで欲が絡むと、あれやこれやと。。だから悪い宗教団体とか出てきたり。

    無宗教でもよかとかなぁ~とよく考えます。
    心の中に、神仏や御先祖様に対しての敬いや感謝の気持ちを絶やさずにおればよかちゃなかろうかと。

    あの世に行けば、今の記憶がなくなるとなれば霊格をあげてもろうても自分では解らんでしょうし、霊格が上がったところで、何を目的とするかもたぶん解らないまんまでしょうし、今を生きる!ことが先決ですね。

  • #4

    佳蔵院 (日曜日, 20 4月 2014 19:56)

    shimohahaさん コメントありがとうございます。

    仏教が多いというのはですね・・・
    江戸時代に寺請制度というものがあって、私はキリ
    シタンではありませんよ、ということをお寺に証明し
    てもらったんですね。んで、その証明を受けることを
    民衆に義務付けました。

    また、檀家制度等もあって民衆のほとんどがお寺と
    の関係を深くしていきました。政治に関係していたわ
    けですね。

    そうですね、「今でしょ!」になるとでしょう(*´∀`*)

  • #5

    フィット (火曜日, 22 4月 2014 00:55)

    佳蔵院さんありがとうございます。
    にわかに信じがたい話ですが、生まれる前に“自らに課題を与える”、そして、“専攻する”ことが霊格の向上につながるというのは、この世を生き易くするためのまさしく「生きがいの創造論」なのかもしれません。仮に、暴力をふるわれたとしても、「自分がセットしたプログラム」と思えますか?ということ。結局のところ、自分の考え方次第で、全てのことの価値観が変わるんですよね。人間関係や身体的な苦痛を含め、それをどう心で処理する術を得るのかということが理想でもあり、一方で、非常に難しくもあると思うです。
    確かに、究極の苦痛は「死」を与えられることで、それが、霊格の向上や自分のプログラムにセットされているとしたら、何のための「学び」なのかがわかりません。
    逆に、苦しい時は、そうでも思わなきゃやってられない!という思想も理解できる部分もあります。悩みなく、活き活きと毎日をがむしゃらに生きていくことが心の解放に繋がるのかな?よく言われる「今」を生きるってどんなことなんでしょう、ピンときませんね。
    それはそうと、なーんか、最近、世界各地でM級の地震が多くて、アセンションとか言ってますけどどうなるんでしょうね。佳蔵院さん、深いブログありがとうございました。

  • #6

    佳蔵院 (火曜日, 22 4月 2014 20:23)

    フィットさん コメントありがとうございます。

    「課題」をもって生れてくる、そのような表現を私も
    たまにしますが、ニュアンス的には「経験」をするた
    めに生まれてくるという感じで受け止めています。

    そもそも「霊格」という表現は個人的に好きではな
    くてですね、鑑定等でも霊的感性について、その高
    さ低さ等を話したりしますけど、他に表現がないので
    仕方なく上下を表す表現をしています。

    霊的世界において「霊格」というものがあったとして
    も、人の魂の中では霊格の差はほとんどありません。
    ただ、魂によっては目指すものが違う場合はあります
    けどね。

    暴力をふるわれるという確定的なプログラムまでは、
    やっぱりできないのではないでしょうかねぇ。もしそう
    だとしたら、未来は全て決まっているということも考え
    られます。仮にビッグバンからこの世が始まったとした
    ら、その始まりから全ての未来が決定されているとい
    うことも考えられます。仮に138億年前に宇宙が誕生
    したとしたら、その時から、暴力を受けるというプログラ
    ムがされていると考えられますね。


    フィットさんが書かれているように、とらえ方の違いで
    変わってくるわけでして、目の前の事象をどのように
    受け止め、どのように思考、行動していくかが人の成
    長につながると思います。

    「今」を生きるについて、とりあえず今のブログのテー
    マが終ったあと、数回後のブログで書くようにしてみ
    ます(¯―¯٥)

  • #7

    佳蔵院 (火曜日, 22 4月 2014 21:09)

    ありゃ(;¬_¬)

    コメントを投稿して、今読み返してみたら・・・
    ちょっと変な文章になってました。

    「暴力をふるわれるという確定的なプログラム~」の
    次の文章の出だしは、「もし、前もってプログラムが
    確定的に決まっているとしたら」に訂正します<(_ _)>

  • #8

    心聖明 (火曜日, 22 4月 2014 23:49)

    こんばんはっ今日も、お話しを読ませて頂き、ふと、素朴な疑問?って感じたので…つい、コメさせて頂きます(笑)疑問って、言うか…尊敬ですかね?私は、正直、子供時分、両親がまともに子育てできる状況では、なかったんですね。今現在、親になった私は、母親と同じ病気になり特定疾患を持ち子供は、発達障害持ちなんですが…と、言っても私は、全てが軽傷?で生活に然程の苦もなく毎日を送っているのですが(お陰様ですよね)そんな、私の母親は、自分で動く事も出来ず当に神頼みしか、出来ない状況でした。そんな、母親なら、そうでしょうが、全てが恵まれた釈迦族の王子様であった方が無について、思い立ち修行に、至るまでの過程の発想が凄いのでは…っと…そして、今、仏教は、他国での方が熱心となり、インドでは、違う宗教が盛んになってる事も興味深いですね。カースト制度もそーですね。マイナスだらけに感じてますが、今のあちらでのネットの発展などに一躍買ってるのであれば、それは、それで考え深いです。どっちにしろ、身分制度は、トップの人間がわが身を守る為に考え出した制度であるのは、どこの国も同じなのですね。人間の本質は、同じと言う事なのでしょうか?ただ、自殺で次のステップに移行?との概念は、なかったのでビックリしました。自殺した時点で全ての頑張りも輪廻もストップしちゃうって思っていたもので…そう言えば、欧米より、アジア…韓国や日本の方が自殺が多いっとも聞いた事があります。これは、定かではないので、ここだけの話しと言うことで………今日もお話しありがとうございました。

  • #9

    佳蔵院 (水曜日, 23 4月 2014 20:44)

    心聖明さん コメントありがとうございます。

    釈迦が出家した理由は、「無」と関係はなかったと
    思います。出家についてよく言われていることは、
    「四門出遊(しもんしゅつゆう)」のお話しがあります。
    真意は定かではありませんが、「無」を思いついて
    出家したというのは、ちょっと無理があるかもです。

    「無」に関することで思い浮ぶことといえば、瞑想が
    ありますけど、釈迦は「無」を目指したわけではない
    と思います。

    また、仏教といえば、インドというイメージがおありか
    もしれませんが、仏教ブームが起こる前に、インドで
    は既にバラモン教がありまして、元々仏教信者が多
    かったというわけではありません。


    カースト制度のおかげでネットの繁栄につながって
    いるとすれば、心情的には残念でなりません。イン
    ドにおけるIT関連は急成長していますけど、それが
    カースト制度の「負」の影響により成長したとするな
    らば、それは良いことだと思います。

    しかし、カースト精度が一躍買っているというような、
    カースト制度を肯定するに近い考えは、抵抗があり
    ます(;¬_¬)

  • #10

    心明聖 (木曜日, 24 4月 2014 08:59)

    すみません。どの様に表現すべきかで無っと書きました。お返事を、拝見して、なるほどっと…バラモンやカースト制度は、子供の頃、手塚治虫氏のアニメでしりましが(年がバレバレですね)私も反対です。それは、歴史で士農工商を習った時の感情と同じです。その、虐げられた人の逃げ道?が日本なら、歌舞伎などの文化であるようにインドでは、ネットの様なIT関連っと思い皮肉だぁっと思い、書いてしまいました。人が人を操ろうっとする傲慢さを考えると心が痛みます。もちろん、今の時代でも大なり小なり、そんな場面に出くわす事は、多々あり、又、自分も我が子には、甘えてつい、そんな行動をとってしまい反省をして…の繰り返しです…っと、話しがズレてしまいました。すみません(笑)あっすみませんついでにもう一つ…自分の名前を間違って書いてしまいました。も〜ボケボケです(笑)普段は、暇さえあれば酒をのんで騒いで馬鹿話ししかしないキャラな自分なので、こんな真面目なやり取りが出来て、嬉しく思いつい、コメを又、してしまいました。お返事ありがとうございます。

  • #11

    佳蔵院 (木曜日, 24 4月 2014 21:39)

    心明聖さん コメントありがとうございます。

    文字で表現することは難しいですよね。私も、いつも
    感じています(;¬_¬)

    カースト制度についての表現は、心明聖さんの人柄
    からして、たぶん、言葉の使い方をちょっと取り違え
    なさっただけだろうと推測はしておりました。


    ただですね・・・
    例えば、心明聖さんの表現には特に触れず、別の
    事に関して迎合するような表現を私がした場合、
    中にはその一文だけをとらえて、「それは間違って
    いる」とコメントされる方もいるんですね。

    過去のブログの記事にも、たまにコメントを頂きます
    けど、そのような部類の人が一人いらっしゃいました。

    年に1人ぐらいは、ご自身の勝手な主張を、わざわざ
    メールで送信される人もいます。このような部類の人
    達までを気にすることはないんですけど、注意してい
    なければいけないと思っていますので・・・

    心明聖さんが取り違えなさっていると推測できていま
    したけど、そのままコメントしました。

    宗教的なことが絡むと、正直に言えば、めんどいです。
    今現に宗教的な部類の人から、執拗なメールがきて
    います。このような人とは、普通のメールのやりとりは
    できませんので、この人が関係する団体や個人へ相
    談しようかと思っています。

    年に一人出現するかどうかという人なんですが、この
    ような人が最近現れましたので、文字の表現には特
    に気を付けるようにしたところです(;¬_¬)

  • #12

    佳蔵院 (木曜日, 24 4月 2014 21:52)

    あっ・・・ 
    気を付けるようにしたと書いたコメントに、誤解を与
    えてしまうような表現を既にしておりました。時間を
    置いて、見直してみることは大事ですよね。

    「心明聖さんの人柄からして~取り違えなさった」と
    いう部分は、心明聖さんがカースト制度を否定なさ
    っているという意味で書いています。

    決して・・・
    心明聖さんの人柄が、おっちょこちょいという意味で
    はありません(;¬_¬)

  • #13

    心明聖 (月曜日, 28 4月 2014 20:30)

    いえっおっちょこちょいです。(笑)

    最後の一言、ほっこり、させて頂きました。この、おっちょこちょいのお陰で、なんとか、人生乗り切ってるので、いつでも、ご指摘してくださいね(笑)

  • #14

    keizo-in1 (火曜日, 29 4月 2014 23:38)

    心明聖さん コメントありがとうございます。

    心明聖は、おっちょこちょいでしたかぁ(*´∀`*)
    イヤイヤ、佳蔵院も結構おっちょこちょいです。

    まぁ、おっちょこちょい同士、人生を愉快に生きてい
    きましょ(*´∀`)

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